昭和な話。その八 | 南の島から来た男アゲイン

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生きてるって、素晴らしい。

唐突ですが(笑)俺の娘は空(そら)と桃(もも)という名前でして、由来についてはまた機会があれば書かせてもらうけど、イニシャルだけでなくこんな色まで(笑)、空色・桃色のが売ってたら、買っちゃうよな。これはね、素通りできない案件です。

令和の前は平成という元号だったから今の感覚でひと昔前って言ったら平成のことになるのかもしれないけど、俺はその前、俺が生まれてから青春時代を過ごした昭和という時代が好きで、この日記にもよく書いたりする↓

んだけど、今日もそんな話です。最近ひとつ年を取ったことで何か習慣を変えてみようと思って、俺は歩くのが好きでよく歩くから歩くスピードを変えてみようと思ったのね。これ普通だったら健康のためとかって理由で少し速く歩くようにするのかもしれないけど、俺の場合は逆でして(笑)少し遅く歩くようにしてみたんだよね。何故わざわざ遅くしたのかというと、今まで通りの速さでは見えなかったものが見えるんじゃないか?と、いや今までも見えていたとは思うけど気づかなかったことに気づくんじゃないか?っていうことだね。よく自分の周りだけでなくもっと広い視野でとか、見たことないものを見に行くとかっていう発想はもちろんあるんだけど、今まで生きてきた経験値から、そんなにいろんな場所に行くことってないのよ。いろいろあるけど、結局限られた決まった場所の中で生活してることはほとんどだから、かといって時間作ってどこかに出かけるのも限界があるし、だったらもうこの俺の生活圏内のあらゆるものを、今まで気づかなかったものまで全部見てやろうと(笑)、そういうことです。まだ数日しか経ってないけど、結構それなりに効果があって、こんなとこにこんな不自然なスペースがあるんだとか、この家の玄関は何故階段ひとつ分下がってるんだろう?とか、やっぱり遅く歩くことで見る場所が変わるというか視野が広くなるような感じがするし、まぁこれ数日しか経ってないから俺自身もそういう意識があるっていうのも関係してるのかもしれないけど、いろいろ知らなかったことだらけだということがわかってね、面白いんだよな。で、今日の朝会社まで歩いてる時に、数年ぶりかな?つくしが生えてるのを見つけたんだよね。俺が小さい頃はつくしんぼって言ってたなと、まとめて摘んで持ち帰ったら母が甘辛に煮てくれたなと、なんとも懐かしい思い出を瞬間的に思い出して、そこからいろんなことを連想してね、昭和だったなと。つくしは今で言うとめんつゆっぽい味付けで煮たり、天ぷらにもしたような記憶があるね。美味しいかどうかは別として、子どもの頃って自分が見つけて摘んできたものってだけで美味しいよな。母が夕食作ってる間に、鰹節を削るのが俺の役割で、カンナみたいな木箱に刃が付いたやつでね、よく削ったもんです。小さい頃はお風呂がガスじゃなかったから、父が風呂からちょっと熱くしろなんて言うと俺が外に出て薪をくべるっていう(笑)、寒い冬場は勘弁してくれと思いながら、何度もするのがイヤだから多めにくべて、熱すぎるなんて(笑)言われたもんです。今温暖化なんて言ってるけど、基本的に当時の方が薄着だったと思うけどね、まぁユニクロさんもなかったから小学生がダウン着るなんてこともなかったしね。俺は一年中半ズボンだったし、そういうやつは何人もいたしね。正に昭和の小学生やね(笑)。

そんなことを考えてるうちに会社に到着、家から歩いてくる間に父と母に会えたような気がして、さらに昭和の時代に戻ってきたみたいな(笑)変な感じも残りつつ、たまにはゆっくり歩くのもいいもんだと思いました。東京で生活してるとついつい急いで歩く癖がついてしまいがちだけど、もうしばらくゆっくち歩こう運動を続けてみようかなと思います。時間がある時に限るけど、おススメですよ。笑