親ガチャって。 | 南の島から来た男アゲイン

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生きてるって、素晴らしい。

最近見つけたもので、これがまた美味しいのよ。辛たれの方はお豆腐とか茹でたもやしとか、ソースは普通のソースの代わりにフライなんかと合うね。俺は特に普通のソースが苦手でフライなんか食べる時は塩かお醤油なんだけど、これがあればソースで美味しくいただけます。

少し前に親ガチャっていう言葉が論争を呼んでるなんていうことをネットの記事で見て、今時の若者ってそんなこと考えてるんだと、まぁわからなくもないと俺は思っていたのね。俺も若い頃なんかは他人を羨んだりしたことずいぶんあったし、他人の芝はっていうようにやっぱりほかの人を見て自分と比べたら見劣りする部分ってあるからね、それはいつの時代でもそういうもんじゃないのかな?みたいに思ってたのよ。そしたら日を追うごとに関連した記事が目につくようになって、どういうことなんだろう?と思ってたら、今日見た記事によればどうやら貧困とか格差のことを言ってる?のかな、俺が見た記事によればそういうことらしいのよ。俺は単に言葉通り、親は選べないからこんな今の俺の境遇も仕方ないよなと、そういうのって運命的なものだよなということと思ってたのね。そりゃそうだ、親を選んで生まれてきた人なんていない訳で、受け入れるしかないもんなと、もちろん俺もそういうこと思ったことあるよと、そう思ってたんだけど、俺が思ってたのと違うのはその先なのね。記事によればそうやって嘆いて諦めてしまう感情が働いてるのではないか?ってことだったのね。えーっ!そうなの?と、問題はその先じゃないの?と、俺は激しく思ったよ。そういう不利な境遇をがんばって跳ね返そうと思わないのかな、いやがんばるのが不得意(?)なら今の境遇を受け入れてそのままの自然な形で生きていけばいいって話じゃないのかなと、どちらにするかはご自身で決めたらいい訳で、俺はどちらであってもそれなりに納得した生き方ってできると思うけどね。がんばるとか努力するってことを諦めるってどういうこと?そしてそれは親ガチャだから?いやいや自分の問題でしょと、親じゃないでしょと、俺は思うけどね。だいたい親以外にも結構選べないものってあって、例えば育った場所だったり兄弟だったりね、いちいちそんなもののせいにしてたらどうしようもないんじゃないのかね。俺は田舎で育ったからとか、上に兄貴がいたからとか、どうでもよくね?(笑)。時代だってね、俺はたまたまバブルの恩恵を多少受けることができた時代に生きてきたけど、別にそんなに言うほどよかったとは思ってないけどね。例えあの時代が大不況だったとしても若いってだけでそれなりに楽しかったと思うし、多感な友人たちとそれなりに過ごしたと思うよ。若いってそういうことでしょ。なんだか自分が努力しない理由を親のせいにしてるみたいで、ちょっと言いたくなっちゃうな。あのね、この年になってわかったことのひとつは、努力しようがしまいが、どちらにしても生きてくっていうのは苦しいし厳しいし切なくて悲しいけど、楽しいんだって。何やってたってそれは同じなのよ、楽ちんで楽しいことばかりなんてことは絶対にないのよ。俺はそこに気づいてから(割と最近だけど)肩の力が抜けたというか楽しようという気持ちがなくなって、困難な過程を楽しむと言ったら大げさだけどそれが当たり前みたいに思えてきたんだよね。っていうか書いててだんだん腹立ってきた、だいたい子どもが親に文句なんて言うこと自体が甘えてるんだよ。無事に産んでもらった訳じゃん、今まで育ててもらった訳じゃん、それだけで十分でしょ、そこから先は自分の問題なんだって。努力?別にしなくたっていいんじゃないのかね、それなりの人生が待ってるだけだし、努力すればそれもそれなりってことでしょ。親のせいにするっていうのはちょっと違うんじゃないのかなと、俺は思います。

※親ガチャの意味が間違っていたら済みませぬ、今時の若者の心理は計りかねるものがありますもので(笑)。