8月15日は終戦の日。
しかし、この日に全てが終わったわけではなくむしろここからとんでもない悲劇や地獄を味わう人たちも沢山居たのだ、と最近ようやく知る。
ロシアウクライナの戦争が始まってから世の中の動きに違和感を覚えたのをきっかけに、戦争についてしっかり学びたいと思ってから1年半が経つ。
それはコロナ禍から繋がっていて「みんなで流される」という違和感に不安を覚えたからで。
知れば知るほど、
「自分は戦争の事を何も知らなかった」
事と
「戦争の事を知った気になっていた」
事が痛いほどわかった。
それは今でも新しい事を学ぶたびに感じ続けている。
そして「知らない事」と「知った気になる事」がどれだけ危険で、間違えた方向に行ってしまうのかも。
あの戦争は上層部だけで起こせるのではなく、国民が流されて熱狂する事で実現してしまった「みんなで起こしたもの」だ。
戦争は戦犯だけの責任ではない。
たくさんの犠牲が出たばかりに目を逸らしがちだけど、無知&同調圧力でみすみす戦争上等になってしまった国民にも責任がある。
犠牲とは別問題で反省をしなくてはならない、と。
(はだしのゲンはそのあたりがよく描かれてたと思う)
とにかく関心を持ち、深く知ることが大事。
戦争についてはあまりに膨大すぎて簡単には身につかないのだけど。
それでも、国民に出来ることはそれしかないように思う。
知れば反論が出来る。
矛盾を見抜ける。
危険な事を勧められても堂々と断れる。
知識は最高の武器となる。
青酸カリを勧められて飲む人はいないと思うけど、それは猛毒だと知ってるからだ。
知ってるだけで断れるんだよ、堂々と。
今ならまだ間に合うと思う。
国民が賢くなれば戦争は止められると思う。
国の暴走を散々許してからでは遅い。
今はギリギリのように思う。
青酸カリを勧められて、知ってて飲まざるを得ない世の中にだってなり得るんだ。
(まさにあの戦争はそれ)
そうなる前に反抗できる体質作りをしなくては、と思う。
しかしまあ、生きる事に、将来に希望を見出せない人達が多い今、どうやってそれらを学ぶ事に関心など持てるだろう?
昭和史を学ぶと、確かに今のこの世の中は戦前によく似ている。
無知な人々がメディアに流され、自分の頭で考えない人々が「メディアに流されていく「みんな」」にオセロのようにひっくり返り。
あの頃も今もさほど変わらない。
戦争の悲惨な出来事を知る時以上に、それが見えてしまう瞬間の方が心に堪える。
歴史にはたくさんの教訓が詰まっている。
しかし世界は結局いまだに過去の教訓から得た事でより強く殺傷能力の高い武器を進化させてばかりいるどうしようもないクソ人類のままである。
たくさんの死者がいると同時に、たくさんの過ちは本来は最高の教科書でもある。
間違ってくれた人たちの犠牲を無駄にせずありがたく活かそう。
それが私たちのやるべき事だと思う。
活かさなくては終わらない。
戦争はずっと続いている。
自分達は歴史の大きな流れの中にいて
ただの小さなきっかけにすぎない「終戦の日」
今となっては8月に限らず年中黙祷、みたいになったけど
読書と勉強は私の反戦活動だ。
これからも抗っていきたいと思う。
強い国民、でありたい。