音楽履歴書その10〜全力リスナー少女時代〜 | 生涯、キリギリス 〜チャーモの部屋〜

生涯、キリギリス 〜チャーモの部屋〜

ミュージシャン(他色々)チャーモのブログです。

前回はコチラ



DIMENSIONのメンバーが出てるライブは全部行くぞ!みたいに意気込んでいたんだけど、主にDIMENSION以外のセッションやライブを多くやってるのはサックスの勝田さんだったので、必然的に勝田さんのライブを見ることが多かったんだけど

(というか、ほぼ追っかけレベルで見に行ってた笑)



サポートの青木智仁さんや石川雅治さんも同じライブに参加してることが多かった記憶がある。

両氏がメンバーの「SOURCE」とかもよく見に行ったなー






毎度毎度、新たに見る共演ミュージシャンにも衝撃を受けて「この人の他のライブも行く!」みたいなキリなく果てしなく広がっていって(笑)日本のフュージョン、スタジオミュージシャンのライブはめちゃくちゃ見に行ってたのが18の終わりから21くらいまでの間。



そのあたりは人生で一番リスナー力?を鍛えた時期だったなあと思う。



10代からの吸収力のある若い時期に日本のトッププレイヤー達の演奏を聴きまくる、という経験が出来て良かったなーと今でも思う。





で、ある時「青木智仁3Days」という名のイベントが六本木PITINNでその名の通り3日間行われ、3日とも行ったんですよ。



仕事ライブで六本木終電で夜中に帰宅してまた翌朝仕事ライブで六本木

(ちなみに当時は入間市在住。パン屋製造だったので朝も早かった)

を、3日間繰り返せたのは若かったからだなと(笑)




その3日間はもうね、一流のミュージシャンが全力で3日間カバーをやる、という企画でして。



初日は「David Sanborn」(サンボーンに扮したのは勝田さん)

2日目は「Brecker Brothers(ちなみにメンバーはほとんどSOURCEだったと思う)

3日目は「Tower of Power」(メンバーみんなアフロで登場してました。浅野ブッチャー祥之さんがギター&ボーカル)




カバー元のミュージシャンは当時は誰も知らなかったんだけど、あまりに演奏が素晴らしすぎたので、3組とも調べて翌日にはCD買いに行きましたね。



そして、3組ともどハマりする。



「ライブでやってたあの曲だー!!かっけーーーー!!すげーーーー!!!」



と、大興奮。




そうして、ライブで聴いたカバー曲で海外のミュージシャンを覚えたり、当時は「JAZZ LIFE」や「ADLIB」を買ってインタビュー記事とかもチェックしてたので、そこで好きなミュージシャンのおすすめのアルバムや影響を受けたプレイヤーやアーティストの情報を仕入れてはそれらをすかさずチェック!という感じで。





そうこうしてるうちにラリー・カールトンやリー・リトナー、パット・メセニーも好きになったり、フュージョンのオムニバスアルバムを買って、気に入ったミュージシャンのアルバムを聴くようになってデヴィット・ベノワやリッピントンズ、アコースティックアルケミーやジョーサンプルとかクルセイダーズとか




DIMENSIONの増崎さんが勧めてたのでリッキーリージョーンズも聴いてみたらこちらもどハマりでしたね。

フュージョンだけではなく歌物も色々好きになったものは多かったです。






それとは別口で、当時衝撃を受けたのは「露崎春女」さんのデビュー。



私と2個しか違わないのに日本人離れした歌唱力に衝撃を受け(当時21でデビュー)アルバムを買って1stライブも見に行ったらゲストにSING LIKE TALKINGの佐藤竹善さんが。




そこで竹善さんのファンになり、竹善さんのライブ(当時はソロか別のイベントばかりでSLTのライブは実は最近まで行ってなかった)にも行くようになり、参加ミュージシャンに六本木で見ていたミュージシャン達が繋がっていたりして。



で、竹善さんのソロアルバムや塩谷哲さんとのユニット「SOLT&SUGAR」が洋楽のカバーアルバムだったので、カバー曲の原曲を漁り始めてエリック・タッグとかpagesとかクインシージョーンズとかも聴くようになったり…




あとは、DIMENSION vs JIMSAKU というライブを見て、カシオペアにハマる、とか、カシオペア聴くならスクエアも聞かなきゃダメでしょ、とか言ってるうちにまだ見たことのない日本のフュージョンバンドのCDも聴くようになり




うん、まだまだあるけどこの辺でストップしときます笑




多分、CD2百枚以上は買った気がする(笑)


ブログ1話分で説明すんの、全然無理だわw





音楽活動もしてなかったし、合コンとかも行かなかったけど(笑)全力で音楽に注ぎ込んでた時期だったなあと思う。




音楽人生の中で、「あの頃があって良かった」と言える一番の時期だったかもしれない。



ドラゴンボールオタクだった頃も良かったけど(笑)





まず、音楽仲間が完全にゼロ!な状態であの若さであれだけ音楽知識を吸収した当時の自分、すげーわ、とか思う。



40代の自分、もっと頑張れ(笑)





ちなみに青木智仁3Daysの初日のDavid Sanbornカバーは、3Daysののちに神戸チキンジョージでもやっていて追っかけるように見に行きました(笑)



それが人生初めての一人旅。



浅野ブッチャー祥之さんとちょっとお話ししました。

北見出身なんですよね。私は網走なんです、みたいな(笑)







青木さんもブッチャーさんも、残念ながらその数年後に亡くなられてしまったのだけど、とにかく最も色濃い青春の1ページに刻まれてる方々なんです。





あの時期は本当に眩しい日々で、おかげで自分の人生は愛おしいものとなっている。




こんな経験が出来た自分は心の底から幸せだと思う。





なかなかすぐにはプレイヤーとしての活動には至らなかったんだけど、もしもその頃からバンドとかやってたらこんだけライブ見に行くとか出来なかったろうしなー。




完璧に満足な音楽人生の流れだったと思う!!




ま、その後ドーンと地獄を見たりもするんだけど(笑)それも含めて😅





雑多な感じになったけど次回に続く