中学時代(中2以降)
中学2年の夏、光GENJIファンのジャニオタの同級生が持ってるCDを片っ端からダビングしてくれた影響で光GENJIにハマる。
ちなみにあっくん推しでした。
ヒット曲よりもアルバムのマニアック曲が好きだったりした。
「I LOVE YOUは雲にのせて」とか好きだった。
「いつかきっと」とか「伝説(レジェンド)」とか。
アイドルとして、というのもあるけど音楽が好きだったようにも思う。
しかし光GENJIといえばヒット曲の数々を手掛けたのはあのASKA様ですからね。(チャゲアス黄金期世代)
アイドルの曲の完成度ってめちゃめちゃ高いと思う。
あと、確か中2のどこかでCMで聴いて「浪漫飛行」が好きになる。
爽快で気持ち良いメロディと歌声は私にも刺さった。
米米は良いね(・∀・)
中3で元々漫画家志望だった事も影響してなのか光GENJIよりもドラゴンボールが好きになる。
あっくんよりベジータの方が好きになり一気にアニヲタの道へ行く。
その時にハマったのがドラゴンボールのサウンドトラック。
やっぱり音楽の方へ行くのであった。
これまた一切表には出ないようなアルバムの中の曲が名曲揃いで、それらにハマるのだけれど
「ドラゴンボールはアルバムの曲が良いんだよ!」
と訴えても共感してくれる同級生はおらず、だいぶ浮いた中学生時代でした。
(我が道を行く人生はこの時すでに形成されていたw)
その時衝撃だったのはオープニング曲の『CHA-LA-HEAD-CHA-LA』を作曲したのが清岡千穂さんという女性作曲家だったと言う事。
骨太ないかつい少年戦闘アニメ曲の数々を手がけているのが女性作曲家だということが衝撃で、顔も知らない情報もないミュージシャンをひたすらリスペクトしていた。
(以前EastCourtのライブで清岡千穂さんに師事していた方と共演した事がありその事実を知って大興奮したのだが、おそらくあんなリアクション取れる人は私くらいのもんかと思うw)
そんなドラゴンボール一辺倒な私が何故か同級生にカラオケに誘われ、生まれて初めて行ったのだけど、当時はレーザーディスクの「カラオケボックス」で。
曲数も少なく、私の歌いたいドラゴンボールはそこにはなく。
いや、もしかしたOPくらいはあったかもしれない。
しかし私が歌いたいのは「摩訶不思議アドベンチャー」や「CHA-LA-HEAD-CHA-LA」でもなく
「Happy birthday」や「Cosmic Chinese Melody」「keep My Way」なんだよ!( ゜Д゜)ノシ
という感じでした。
(確かその時は嘉門達夫の「小市民」を歌って帰った記憶があります)
というわけでこんな女子中学生はどこ行ってもめちゃくちゃ浮いてましたが、今思うとコレも間違っていなかったと思います(笑)
ちなみに、のちにこのサントラには私が19歳くらいの時からリスペクトしていた日本のトップレベルのプレイヤー達がスタジオミュージシャンとして参加していた事を知る。
青木智仁さんや梶原順さんとか。
私が持っていないCDではスティーブ・ルカサーやマイク・ポーカロが参加してるものもあるようだ…( ゜Д゜)
恐るべしアニソンの世界…!
まあそんなわけでこれまた不思議と後へと続く意外な繋がりでした。
演奏に目覚めていない頃の感性ってやっぱり一生モノなのかもしれない。
私の経験上アニオタって音楽も好き。
作品の全てをマニアックに隅々まで愛する気質からか、音楽にもハマる人が多いように思う。
だから菅野ようこさんとかはオタクからは神と崇められてるしね〜(私もその一人)
元漫画研究部の見解です(笑)
ちなみに「幽遊白書」も好きで、馬渡松子さんや高橋ひろさんも聴いてました。
どちらも大人になってから再度聴き始めてアルバム買い揃える事に。
3つ子の魂100までも、って事なのでしょうかね。
今でもドラゴンボールのサントラは聴いていて、DTMのアレンジの参考にしたりもしてるし笑
ギターに目覚めてもいないのでまだまだ序章です(笑)
続く。
次話