いつか終わると知ってても | 生涯、キリギリス 〜チャーモの部屋〜

生涯、キリギリス 〜チャーモの部屋〜

ミュージシャン(他色々)チャーモのブログです。





自分の反抗期時代をふと思い出す。




冷たくあたって、それが最期になって、なんでもっと優しく出来なかったんだと後悔する。




もっと人には優しくなろう




後悔しないように。




その後


「最期に優しく出来てよかった」


という経験も出来た

 




いつも最期かもしれないと思って人に接する



そうすれば優しくなれるし、後悔もなくなる



そんな生き方を






なんて思っていたけど、最近巡り巡ってその考えもイマイチになって来たりして(笑)






冷たくするにも色々理由があったんだよな、ってのを思い出していた。 




ただただ後悔と罪悪感が強くて、そんな自分の心を全否定して「冷たくした理由」をずっと無視し続けて、優しくなかった自分を責め続けて居たりして。




ふと、最近気づいた。

それってどうなんだ?と。




ダメじゃね?笑




最近になって目をそらさずありのままを見る大切さ、みたいなのに気づいてようやく見れるようになったのは、自分を責めて許さない自分だったりした。




ダメじゃん(笑)




私が忌み嫌う自己否定、自己犠牲だわ。






そんなわけで

「最期かもしれないから後悔しないように人には優しく」

的な話を見るたび最近やや微妙になっている。



以前はうんうんと頷いていたけれど。





ここ最近も「無理!!」と、近い友人を冷たく突き放す事もあった。




あー、最期になるかもしれないのにな、と思いながらも「いや、しょうがないわコレは」と。




自分を許すことにした。






人間関係って難しいことだらけだ。


関係が近ければ近いほど。



どんな人もみんなその時の許容量の中で精一杯でやっている



優しく出来ない事も、その時の自分の状況だったり、優しく出来ない原因があったりしょうがない事も多くて



ダメじゃない 



無理な時は無理



それでもみんな一生懸命やってる





許そうじゃないか



自分も他人も




などと思ったりした。





「最期かもしれないから」って考えも、ほどほどにしないとめちゃくちゃ消耗する事がある。

人に対しても、自分の人生に対しても。




時には明日があるさ、と思って生きても良いな。




と、巡り巡ってそんな事を今日は考えている。





明日はまた分からないけれど(笑)

違う考えになってるかもしれないけど。



後悔なんかして当たり前


神様じゃないんだし



誰もが満たされる完璧な道を自分一人で作ろうだなんておこがましいんですよ、そもそもが。

ええ。


不完全で良い。



にんげんだもの。






ちなみにこのあたりのこういう気持ちを元に作ったのがコチラの曲でした





許して生きよう。



頑張ってるんだから。