昨日、久々に本棚から取り出し、田口ランディさんの「できればムカつかずに生きたい」を読んだ。何度読んでも沁みる。
特に後半の「寺山修司さんの宿題」は何度読んでも泣いてしまって、今回も泣いた。そして、「インターネットライターへの道」は今のわたしの気持ちと重なるものがあった。
魔女の宅急便のキキが飛べなくなったこと、そのあと絵描きの家に行った夜の会話。
そして、ラスト、トンボを助けるために必死に飛ぼうとするキキのひたむきな姿。
思い出すだけで泣ける。
そして、思った。
そうか、今わたしもスランプなんだと。
ランディさんは25年も書けなかったと書いてた。
何を書いたらいいのかわからなかったと。
でも、身の回りで一気に生と死の色々が起こって、書き始めたと。書かずにはいられなかった。
わたしは、自分のことを書きたかったんだ。
とランディさんは気づいた。
ランディさんと同じだというのはおこがましいけど、わたしも何故か出産してから、絵を描くことに意味をつけようとしてた。
なんのために絵を描くんだろう。
そんなこと以前は考えずに、描きたいまま衝動のままに描いてた。
それなのに、なんでだろう?
描いてどうするの?って頭の中でもうひとりの自分が聞いてきて、描いてても前みたいに楽しくなくなった。
魔女の宅急便の絵描きの女の子が言ってた「描いても描いても気に入らないの」って、感じに似てる。
今もまだ声は聞こえる。
でもね、そんな時、不思議と応援の声が届いたりする。
わたしの短大の恩師の展示会が来月あって、その恩師が、早期退職してエカキになると手紙に書いていた。
そうか、何歳になっても、エカキになれるんだって思った。
大学教授をしながら絵を描き続けた先生が、残りの人生を絵を描くことで生きたいと宣言された。
きっと、あの手紙でたくさんの生徒が励まされたんだろうな。
その手紙の中には有名な野見山暁治さんの言葉も書いてあった。
「絵描きというのは、職業として成り立っているわけではなく、うまい、下手の区別もない。毎日絵を描いていることが、絵とは何かを問いかけていることであり、その行為を絵描きとよんでもいいのではないか」
先生は教授を辞めて、毎日絵を描いていきたいという。
なんのために絵を描くとか、そんなこと、考えたり考えなかったり、するのかな。
わたしも幼い頃からずっと絵を描いてきた。
何を描きたいのかわからなくなった時期もあったけど、42歳になり、今も絵を描いてる。
なんのため?
そんなのどうでもいい。
描きたいから描く。
それだけでいいじゃないか。
誰かに評価されるためでも、売るためでもなく、
ただ、わたしはここにいる。
そんな、単純な自己開示欲だけでいい。
映画「ハチミツとクローバー」のワンシーンにこんな会話がある。
絵描きの2人が早朝の海辺で海をみながら話すシーン
「なんで人は絵を描くんだろう」
「描きたいから。描かずにはいられないから。それって、人はなんで生きるんだろうって質問とおんなじ」
そうなんよね。描きたいから描く。
真っ直ぐで揺るぎない。
わたしもその真っ直ぐな衝動のまま、描き続けていきたい。