吉本ばななさんが以前、「天職は手加減できること」みたいなことを書かれてて、ほんとそうなんだと思った。
わたしは絵や詩もかくけど、教室の講師もやっていて、参加者にも評判がいい。
割とフランクにリラックスした感じでできるので、わたしも楽しい。だから続けてこられたんだと思う。
だけど、出産して、時間の制約が増えてから変わった。
毎週1回の教室のための材料の買い出しやカリキュラムを考えたりする時間を入れると、育児と家事と他の仕事の掛け持ちはとても大変で、絵や詩をかく時間もエネルギーもほぼ残らない状態になった。
子どもがいない時は、結婚していても、夫がいたとしても夜に創作時間を確保出来たけど、今はそれができない。
だから、わたしが創作に使える時間は、平日の昼間か、早朝しかない。
早朝といっても、朝5時に起きても、娘が目を覚まして起きてきたら中断せざるを得ないし、昼間は仕事と家事と教室の準備であっという間に時間が過ぎる。
こう書き出したら、こんな生活の中で断続的に創作し続けるのが無理なのは当然なんだけど、わたしは、やっていこうとしてた。
教室も楽しいからだ。
でも、それが無理だ、と去年の秋に実感したからよかった。
わたしにとって、教室は天職じゃなかったんだと思う。
教室の子ども達の作品を、美術ギャラリーで展示するための準備にとりかかっていた時、わたしはものすごく息苦しくなり、ついには号泣した。
つらかった。
自分の表現活動もできてないのに、自分以外の人の展示にエネルギーと時間を注いでいることに。
それがたとえ未来輝く子どもたちのためだったとしても、わたしの心は泣き叫んだ。
教室がたとえ楽しくても、それは自分が充分に創作し表現したうえでのことだ。
そのことを、身にしみて感じることが出来た。
今のわたし、幼い子どもを育ててるわたしだからこそ、時間とエネルギーを一番大事なものに注がなければ、わたしの心は悲鳴をあげ続けるだろう。
それが例え、報酬がなくても、わたしは前のように自由に表現していきたい。
前のように、というまでには行かない場合があっても、それがわたしだということを、もう誤魔化したりせずに、生きていきたい、そう思った。
だから、教室は今年度で辞めることにして、タイミングよく後継者も決まった。
長年、子どもたちの教室をしてきたとてもエネルギッシュで自由で愛のある先生だから安心。
子どもたちとお別れするのは淋しいけど、子どもたちにはその気持ちもしっかり伝えていこうと思う。
未来の作家になる子どもたちかもしれないから。
未来のアート界はきっともっと自由になってるだろう。
有名人がテレビ出演だけだったのが、今ではSNSやYouTubeに活動の場を移したみたいに、
美術館やギャラリーだけでない表現の場が、今もうだいぶ広がってるし、アートをビジネスの線路に乗っけることだけが成功ではなく、もっとたくさんの人が、カラオケに行くテンションや気軽さで、アートを創る時代がくる。
見る目ないお堅い先生が、学校の美術の授業で点数をつけることもなくなる。
誰もが自由に、上手い下手という尺度もとっぱらって、自分のエネルギーを解放できる。
そんなアートの世界がもっと広がると、きっと心の病は激減するだろう。
だって、心の病を患ってる人は、もともと自由な心の持ち主だから。
心を殺して、ロボットみたいにルールに従うことができない、自由な人たちなんだから。
わたしはそう思う。
そんな未来はきっと、すぐそこまできてる。
わたしも早めに行っておきたい。
今からだ。