さて、続きです。
氏神様へお詣りに行って
境内から出る階段を降りよとしたその時
何やら呼び止められたような気がして見上げたら
絡み合って生えてる木なのね、
と思って根っこのところを見ると
絡みついてる木のほうの根っこがなかったの。
横にあるのがこの木の根っこ?
切らないときっとこっちの木が倒れちゃうくらい
共倒れになっても大変だし、
根っこがもうないのに
枯れずにこうして元気でいられるのは
根っこのある仲良しの木から養分もらってるからだね(^^)
きっとこの木が
私を呼んでくれたのだと思う。
本殿に神様がいなかったので
今日はどこにいるのかな、と思っていたら
ここかぁ(o^^o)
多分、この大きな木のほうは
私が子どものころに出会ってたはず。
きっと昔、
また来るね♪と手を振ったりしたんだろうね(^^)
木が覚えてくれていたような気がする。
この木を見てる人は誰もいなくて
そこだけ時空が違って静か。
初詣の参拝者はたくさんいる賑やかな元旦の昼間の神社なのにね
それにしても
根っこがないのに
逞しい♪
か根っこがなくても
こんな風に生きて行ってる姿を見て
感動だった。
根っこがなくても
ずっと仲良くしていたこの隣の木と
ひとつになって生きている。
この木の日差しが当たってる部分あるでしょ♪
この日、この時間、
氏神様がいたのはこの辺り♪
またこの木に会いに行こう
木を見上げる。
根っこも見る。
そして反対側に回ってまた見上げる。
根っこを見る。
話しかける。
幹に触れる。
触れながら今度は話しかける。
魂に優しく響くメッセージをくれるのが木。
(そして花は心へ、草は体へのメッセージをくれるよ♪)
何か事情があって
根っこを切らなければならなかった木が
こんな風に逞しく
しなやかに生きてる。
これこそ人生だね。
ここには
数十年ぶりに訪れたのに
こんなにも素晴らしいことを
元旦早々こうして教えてもらえるなんて
なんてありがたいのだろう…
(この初詣からの帰宅後に能登大震災、
毎年恒例の母の誕生会が終わったあとに
羽田空港での事故。
とてもとても新年とは思えないことが起こってますが
私たちに出来ること、
改めてまた書いてみようと思います。)