最近、いろいろなことがあって、ブログにも書きたいなーと思っていることがたくさんあるのだけど、展開が早すぎて、ブログに書くまでに追いつかない 笑
だからツイッターとかfacebookとか、リアルタイムな気持ちをのせられるからいいんだね!と、今更ながら思ったりして、今、何を感じたのか、自分を客観視するのにもとてもいいのかもしれない。ほんと今頃ですけど 笑
もう、わたしのはどんどん過去になってきちゃって、かなり鮮度がおちているけど 笑
だから、鮮度が一番新しいものから書くと、ある出来事がきっかけで、夫に対してずっと持っていたモヤモヤした気持ちを夫に伝えることができた!バンザーイ!
なかなか本音が言えないんです。わたし。笑
きっと、わたしの中に“勝ち負け”があって、本音を言うことで負けた気がしていたんでしょう。なんとプライドの高いこと!笑
何十年もかけて、やっと自分自身に寄り添えた。そんな感じです言えると勝ち負けなんかじゃなかったことがわかりました。笑
それは自分の一番純粋な部分で、そこをこじ開けられるのがとても不快過ぎて怖かった。
純粋過ぎて、誰にも触れさせたくなくて、そう簡単に開くものか!と、ずっとずっと大切に握りしめていて、だけど、その純粋な部分は寄り添うことで、自然に開けていくものでした。
結局、夫に対してどーのこーのじゃなく、わたしがそう感じたのに、ひた隠しにしてモヤモヤした気持ちをずっとわたしの中に押しこめて毒化させてしまっていたものを、ひっぱりだして、わたしの中を綺麗にしてあげたような感じ。
もっと簡単に例えるなら、見て見ぬ振りしていた冷蔵庫の中のドロドロ腐った野菜を、やっと直視して、食べれなくなったものをゴミ箱に捨てて、冷蔵庫を綺麗に掃除して気をよくした感じ。笑
負の出来事と一見思われるような出来事は、“負”だとかってに感情をのせてるだけで、ほんとはチャンスなんですよね。
それは、覆い隠されている自分の中の本音に気づくチャンス!その闇のような部分に寄り添うことは、膝を抱えた子どものわたしに寄り添うということで、それが一番の癒しだった。罪悪感も悲しみも、寂しさも、誰かに補ってもらうものではなく、そんな闇のように感じる感情は、無かったことにするでもなく、追い越してしまうわけでもなく、いいも悪いもなく、わたし自身が寄り添うもの。
そうすることで、わたしの自立が成立するのかもしれない。
そしてはじめて、人のあたたかさや優しさを受け取ることができるのかもしれない。
愛は目の前にたくさんあったんだと、気づくことができるのかもしれない。
わたしの中にある闇の取扱説明書
この取説のおかげで、わたしはわたしのままでいいんだと、更にぐぐぐっと自己肯定感が強くなりました。
腹が座るっていうのかな。そんな感じです。
今、ご縁が繋がる不思議を感じている毎日で、わたしにとって必要だったご縁、ほんとに有難いです