最近、私の興味を惹きつけて止まないのは新潟市中央区に嘗て在ったとされる鏡橋マーケットの存在であります。
今は無き鏡橋の石碑。嘗てこの界隈には他門川と言う小さな川が流れていました。現在この川は埋め立てられて道路になっております。
鏡橋交差点から秣川岸(まぐさかわぎし)通を望む。この界隈、昔は怪しげなバラック棟が立ち並んでいたらしく、どうやら青線街を構成していたそうなのです。その青線街、鏡橋マーケット(または他門川マーケット)と呼ばれていたそう。
「団扇を扇いでいる遣手ババァがウロウロしていた」
「親からは秣川岸の方向へは絶対に一人で行ってはダメだと言われていた」
・・・・・・新潟市内に古くから住む年上の方(40歳代と60歳代)に鏡橋マーケットの存在を訪ねたところ、そのような証言を得る事が出来ました。・・・・これは間違いなさそうですね。
しかしながら、鏡橋マーケットの写真や資料が全く出てこないのですね。ネットで鏡橋マーケットを検索しても、殆ど情報が出てきません。
鏡橋マーケットの検索ヒットで出てきた情報は、唯一このようなものがありました。新潟市の歴史文化を考える有志の方々によるフォーラムの紹介です。2008年に行われたフォーラムの案内です。「他門川周辺の風景を思い起こすー他門川マーケットの謎を探る!~」と題されていました。
(以下フォーラム案内より転載)
これは昭和20年~30年代終わり頃までの間、新潟市新潟島を流れる旧他門川に、新潟市役所が戦後の引揚者のために住宅兼店舗の木造2階建てを建てたマーケットで、『他門川マーケット』、『鏡橋マーケット』とも呼ばれ食品、青果、洋品、雑貨、貸本屋などバラエティーに富んでいて数多くの業種の店が数キロに渡り連なって、今となっては過去の遺産、遺物で、資料もほとんど無く、知る人も限られ、知る人さえ段々居なくなって行く傾向なので、今回のフォーラを機会に、生きている証言、貴重な資料や情報を収集したいと考え企画されたもの。
・・・・更に案内には以下のように追記が書かれています。
またこのマーケットには風俗店、飲食店も存在し、他門川マーケットというとそちらをすぐ連想する人もいて、そういう意味においても興味尽きない。
・・・・鏡橋マーケットについてはもっと掘り下げて調べてみたいですね。上記のような勉強会にも今後は参加してみようかなと考えているのです。
秣川岸通の一角。朝鮮料理屋は昔の名残か??
秣川岸通から道路を挟んだ反対側は新潟市中央区花町、雪町、月町と言う町名の小さな町があります。余談ですが、私のハンドルネームの元ネタであります(笑)
明らかに艶っぽい歴史がありそうな町名ですよね。
先日記事にした柏崎市の新花町も色っぽい町名でしたが、それにより一層拍車をかけているように感じます。
もちろんお稲荷様が鎮座されております。