歳を重ねて変わって行く人づき合いの形
昨日(10/21)は、かねてより計画されていた法事、
この行事は他の何よりも優先度が高く、
→ 自身の中での捉え方、家族も賛同かな?
家族一同で参加することにしていました。
→ 息子夫婦も静岡から来てくれました。
母方の祖父の25回忌、祖母の7回忌で
京都にあるセレモニーホールに向かいました。
→ 今の自分たちがあるのは、このお二人がいての事、
父方の法事は既に散会しています。
法事は意外にあっさり終了しましたが
その後に大阪の実家に一部の親戚一同が集まって
何年振りか思い出せないくらい久方ぶりのどんちゃん騒ぎ
賑やかな1日で、昔を思い出して楽しめました(喜)。
たまにはこういった集まりもやっぱり良い!
最近でこそ息子夫婦と娘で、実家にも帰らずに、
こじんまりとしたお正月が当たり前になりつつありますが、
以前は、親戚一同が正月に顔を合わせ、
たわいもない話しかしないものの、近況を確認して、
来年以降の再会を当たり前のように認識をして、
次のお正月にまた再開する、古い日本の風習とは言え、
良い時の過ごし方だったように思います。
ただ、そういった行事が延々に続くことはなく、
どこかで終焉を迎え、新たな形に変わっていきます。
それは歳を重ねると、個々の家族の形も変わるし、
最近でこそ夫婦が添い遂げることが当たり前ではなくなり、
家族ノカタチも以前とは比較にならないくらい変わっていく、
なので自然体として、同じ形では続けられなくなります。
我が家は、息子の嫁も参加し(若干負担をかけたかも?)
家族全員が参加できましたが、
これが叶わない場合も至極当たり前に、
時間が経つと言うことはこう言ったことを指すのではないでしょうか?
それと、悲しい話にはなりますが、
歳をとると一人欠け、二人欠けていきます。
あと10年以内に何人かは鬼門に入られると思います。
次にお会いできるのは、懐かしい人たちとのお別れの会、
でもその流れも人が歳を重ねることとしては
当たり前の姿でもあり、これを受け入れていくことが
歳を重ねることなのだろうなと思います。
懐かしい人たちとの再会は、
次のフェーズに入ったように感じました。
還暦を過ぎた今この時に、感じた正直な感想です。
改めて、祖父祖母に感謝の気持ちを、
我々世代に引き継いでいただいた当時のご苦労に
心からお礼を言いたいと思いました。
ありがとう、そして、
どうぞ安らかに次の世界でお過ごしください。
そちらの世界からはこちらはどんな風に見えるのかな?
近いうちにみんなで行くことにはなりますが(笑)。