副社長もヒラも、サラリーマンは社長以外は負け犬 | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

副社長もヒラも、

サラリーマンは社長以外は負け犬

 

 

 

日経新聞の夕刊(10/16~)、経済コラムニストで野村證券OB

大江英昭さんの『「定年楽園」を生きる』で

興味深い指摘がありましたので、自分史を重ねて読んでみました。

 

サラリーマンにとって「定年」は人生の一大事、

その前後で慣れ親しんだ生活が一変します。

 

50代になって、「社長になる目」が無くなった段階で

早めに切り替えて次の人生を考えるのが良い、

早めの頭の切り替えが次の人生を踏み出す一歩になる。

 → 役員も社長の一存で契約が終わるのが一般的のようです。

   とある中堅銀行の取締役の方が何故か転職されていて、

   理由を聞くと社長に辞めてほしいと言われたそうです。

   組織の若返りの施策として年寄は不要になるとのこと、

   役員になっても、定年後の保証はないわけです。

   役員は安全パイだと思っていたのですが(汗)

 

定年後、残りの人生も20年以上あるので、

サラリーマンを早々に成仏させることは必要な視点だと

大江さんは説いています。全く同感ですが、これが意外に出来ない。

 

 何故なら、

 一番の理由は特にやりたいことが無いからです。

 

起業はしたいと思いつつも具体的なプラン無し、

多くの人は流されるままに再雇用制度を利用します。

何を隠そう、今の自分自身はまさにこのパターンです。

惰性でサラリーマンを続けています。

 

ただ、定年延長にはかなりのストレスがあります。

昨日までの部門長が一兵卒になることは、

言葉では理解できていたとしても簡単には受け入れられない。

実際に遭遇すると、とても大きな変化がやってきます。

これは自身の実体験からその通りだと思います。

 

さらにここには外部環境との関係性が関わります。

周りから浮いてしまう立ち位置は本人だけで無く、

周りの人たちも、どう接すれば良いか分からないことです。

 

自身の経験で言うと、以前の部長経験者2名の方が下にいた時の話です。

そのうちの御一方は以前と同じように

小生を呼び捨てでいろいろと指示を出し、

どう対処すれば良いのか、困ったものでした。

注意するのも難しく感じて放置するしかなかったのですが、

仕事が極めてやりにくかった事を記憶しています。

 

しかるに振り返っての自身の場合はどうか?

大して変わらないかもしれません(苦笑)。

自分の場合は、年下の上長を呼び捨てることは勿論していませんが、

年配者を部下にする管理職の苦労はどんな人に対してもあるように思います。

小生の場合、還暦前に会社の外に出されているので、

小職を部下にした今の上長はほぼ気遣いなし(ほったらかし)、

何のための出向だったかは分かりませんが、

最初の3ヶ月は全くやることが無かったですね。

在宅時は家にいるだけで仕事をしている事になりましたが、

日々の仕事の意味を見いだすことが出来ず、

自身の存在価値に疑問を感じてしまいました。

情けない、これがとても辛かったことを記憶しています。

 

なので、居場所を探して大学院を受験することにしました。

  自分の存在価値を見いだせる場所を

   職場以外に作っておくことは大事だと思いました。

   定年で仕事(役割)が無くなるからです。

 

学生生活で今は少し救われているものの

とは言え大学院の2年間も残すところあと5ヶ月、

大学院修了後にどうするかを具体的に考える時期に来ています。

 

今の出向先の契約が2年、それも半年を終えあと1年半、

この契約終了で一区切り付けるのが良いのかもしれない?

そんな思いが強くなっていますが、家内はそれに関しては大反対です。

 

仕事さえ諦めれば、今のままで何の問題が無いからです。

確かに、それも一理あるように思いますが、

余命も限られており、時間がもったいないようにも思っています。

 

いろいろ考える機会を頂いた、

とても有意義なコラムを拝見できてよかったです。