石川啄木終焉の地、顕彰室
昨日(6/22)からの続き、
今日でこのシリーズ(茗荷谷編)は終了です。
茗荷谷駅から徒歩10分程度のところに
石川啄木終焉の地があります。
→ この地に啄木が住んでいたと言うことです。
マンションの一室が啄木の顕彰室として
多くの方々の寄付で今に至ります。
顕彰(けんしょう):
個人の著名でない功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめること。
行ってみて驚いたのは、
本当に気を付けてみないと見落としてしまうくらい
普通のマンションの間に石碑があり、
顕彰室もマンション1階の一室を使って
表面はガラス張り、無料開放されていました。
啄木と文京区との関わりを中心に展示が組み立てられており、
学際地区としての茗荷谷周辺を味わうことができます。
明治45年4月13日、
啄木は結核に罹患して26歳で亡くなっています。
場所は東京・小石川区久堅町(ひさかたちょう)
現在の文京区にある借家でした。
奥方の節子さんも啄木から結核をもらったようで、
啄木の亡くなった約1年後に28歳で亡くなりました。
呼吸すれば
胸の中になる音あり
凩よりもさびしきその音
目閉づれど
心にうかぶ何もなし
さびしくもまた眼をあけるかな
地味ですが、それでいて古き良き時代の日本を感じることができる
そんな場所のようです。