やること無いちゅうのはしんどうてな! | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

やること無いちゅうのはしんどうてな!

 

 

 

NHK朝の連続テレビ小説『舞いあがれ』

毎日楽しみに見ています(出勤日はビデオ録画)。

 

今週の印象的なシーン、定年退職でお辞めになった

ドラマの舞台『IWAKURA』で職人だった笠巻久之さんが、

ぽつりと言った一言がこころに響きました。

 

やること無い

ちゅうのはしんどうてな!

 

職人の本音、生きる人としての本音、

仕事の目的は単に給料をもらうだけでなく

それ以上の大事な役割があることを痛感する一場面、

ドキッ、としましたね、このワンシーン。

 

お好み焼きを食べながら、軽度の脳卒中で職を失い、

ひとり暮らしもできなくなって大阪に来た

バンバこと祖母の才津祥子さんは

この言葉で思わず箸が止まります。

 

五島の自宅を離れて、知人が少ない環境で

やることも無く落ち込んでいたことから、

自分の事と重なったからだと思います。

 → 素晴らしいシナリオです!

 

歳を重ねると体が動かなくなる、

頭も回らなくなる、言葉も出にくくなる、

勿論、病気をしてしまうと無理できなくなり、

周りが気を使ってくれて楽をさせたいと思う、

でもそれが本人にとって幸せなのかはまた別の話、

 

一番つらいことは

 

やることがなくなること

 

役割がなくなること

 

自分が必要とされなくなること

 

ではないかと思います?

 

生きているからには、何らかの生きる意味を見いださないと

自分の存在意義を見失ってしまうかもしません。

自身にとって意味のない時間をただ単に過ごすことは

本人にとっては結構辛いものです。

 

これは給料をもらう、もらわないにかかわらずです。

給料をもらうことは生活がかかっているので

とても重要なことですが、給料さえもらえれば全てかと言うと、

そうとは言い切れない一面が存在します。

 

年をとっても元気で居られること、

幸せに暮らせることは役割を持つこと、

必要とされることであり、楽をすることではないようです。

 

もっと働きたい、全ての人ではないですが、

これが年配の人たちの本音かもしれません?