半導体大リストラ時代(3)  | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

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半導体大リストラ時代(3) 

今日(1/12)の日経新聞,日曜日に考える からです.

<日経新聞 半導体興亡史 から>-----------
◆NEC に覇者の驕り
◆ルネサスの挫折 『日の丸ファブ』 実現せず
◆台湾の受託生産会社 水平分業で急成長
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半導体事業の衰退は1986年の日米半導体協定から始まったとするのが
一般的な認識になっています.
そこを社説に基づき半導体事業の衰退をひも解いてみましょう!

1986年に半導体世界3強になったNEC,日立製作所,東芝
ここで当時のNEC社長だった関本忠弘氏(日本電子工業振興協会会長を兼ねる)の
判断が後々の半導体危機に繋がったとされています.
 → これが覇者NEC の驕り とされています!

実質的な日米2国間の談合とも呼べるこの協定が
半導体メモリーの国際相場を安定させ,
一時的な国際相場の好業績をもたらしたわけですが,
その反面,これまでの技術進歩が止まってしまったということです.
ここで,かつての日本が得意とした垂直統合モデルは任務の過程を終え,
台湾や韓国が得意とする水平分業モデルの優位さが台頭,
併せて価格競争力を高めたSAMSUNG, LG を中心とした韓国勢,
ファンダリーという新しい形態を提唱した TSMC ,
沈んだはずの米国ではMPUビジネスに特化した Intel が世界の半導体市場に参入,
古い形態で過去を引きずった日本のみが取り残されることになります.

その古い形態とは『垂直統合型モデル』の継承だといえます.
 製品設計から製造までのすべてを自社でやるのが垂直統合です.

そもそもルネサスが発足した当時はこの垂直統合型から水平分業に
事業構造を変えていく手はずだったそうですが
 『生産現場を持っていないとモノづくりの強さを維持できない』 として
経営陣はファブの切り離しを見送り,製造拠点の統廃合すら遅れました.
ここで的確な経営を進めていたら(結果論ですが),
今の日本の半導体はここまでボロボロにならなかったはずです.

 でも,言うは易し,成すは難し と言いますか,
 改革は常に抵抗勢力に行く手を阻まれます.
  それは改革(やイノベーション)によって職を失う人が出てくるからです.
  でも,それを恐れて事を先送りすると,それ以上に大きな代償を払わなくてはならない,
  これがルネサスの数万人レベルの解雇や拠点の閉鎖,今の半導体業界そのものです!

ここで大きな足かせのひとつにになった事実が
ルネサスにしろ,エルピーダにしろ,半導体大手の寄せ集め集団だったこと.
つまり,ひとつの集団になりえなかったということです.烏合の衆...
個々の集団はかつての所属である出向先の意向を優先させ
工場の拠点統合は個々の優位性のみ主張,全体最適を考えるに至りませんでした.
これら負の要因が結局は高コスト体質のモノづくりをさらに助長
経営危機に際した事業所を作り続け,最終的に閉鎖させる必要性につながります.

要は,最悪の事態になってどうしようもない状態にならないと
アクションができない日本の経営者の弱さとともに,
米国で進んだSEMATEC のような政府主導の国策による統合が
日本ではできずに非効率で高コストな工場が残ってしまったということです.

 経営者の弱さ,加えて政府の働きかけに実質的な強制力がなく,
  企業もそれを無視してしまう日本の弱さがここにあったということでしょう!

日本には 『一国一条の主』 なる言葉がありますが,
どうしても自分の城を作り,守ってしまう,殿様は居心地が良いのです.
立派な工場を持つことが優れた経営者と信じられたが故に
本当はそこで何を作り,どうやって儲けるか,雇用を守るかと言った
視点が欠落していたわけです.
 (雇用を守ることの重要性はかなり軽視されてしまったように感じます)

もう一点,技術志向の日本企業は半導体技術,プロセス開発や
デバイスの特性向上にばかりに目が行ってしまい,
会社としての収益性や工場としての生産性を軽視してしまいました.
結果として大きな赤字を抱えて破たんする事業が続いています.
この悪い失敗事例は液晶事業でも繰り返され,最終的に日本の電機産業全体の
危機につながってしまったということです.

ここでも言い切れることとして,事業としての真の経営者がいなかったことが
優れた経営者がいた米国,韓国,台湾との差であったと思われます.
特に技術系の社長の場合,経営的な視点が劣っていても
技術開発でひとつ成果を出すと子会社の社長になってしまい,
まったく採算の取れない莫大な投資を慣行してしまいます.
 でも,失敗したときの責任は取らない,なれ合い経営とはこういう事?
  → 失敗したら辞表を書く,日本でもそのくらいのことはしないと,
     その失敗者の尻ぬぐいをするメンバーはやってられないですよね!

そもそも採算計算の数字も楽観的な予想でほとんど実現不可能な計画,
社長が断行するもんだから他のボードメンバーは口が出せない
その悪いルーチンが重なってなくなってしまった典型が
NEC の半導体事業だったのかも知れません?

最後に,

2008年,NECエレクトロニクスを分社化切り離しすることを謀った臨時株主総会で,
一株主として出席した根本氏が当時のNEC社長の西垣氏に

 『世界一だったメーカーがなぜ半導体事業を切り売りするのか?』

 『事業の変動が激しい半導体事業の経営は難しい...』

 日の丸半導体はこの言葉とともに沈んでしまったように思います.
  だれがこの日の丸半導体を沈めてしまったんでしょうね?

 この失敗を繰り返さないことが大切です...