伊東市 妙隆寺
前にも 青いかば旅行社さん と歴史散策で来ましたが、
その時からずっと気になっていたことがありました。
地中より発見された「経石(きょういし・きょうせき)」
を見たい!
経石は川原とか海岸から得られた石に墨書したもの
で、これを積み上げたものが経塚というらしい。
経石には祈願とか供養の文字が書かれているという。
伊東では他に日蓮が経を読んで石を積み上げたという場所
が富戸にあります。
この日、妙隆寺では新年会が開催されるということで、
お邪魔しました(・∀・)
祖母のお墓があります。
こちらのご住職は歴史を勉強されていて、本も書かれた
そうです。
許可を得ての撮影です。
鬼子母神(きしもじん)女性の神様
安産とか多産
凄く古いものだそうで、文化二年に宮殿の改修工事が
行われているそうです。今から200年以上前ですね。
遠慮がちの撮影(ノω・、)
経塚碑
出土された経石の一部を再び埋めて経塚碑を
建築したという。
前にも書きました。
(多分、スルーする人が多いと思うけれど(;´Д`)ノ)
「経塚の由来
昭和59年2月の当山本堂再建のおり、偶然にも3基が並んで
発見された1つである。
経塚は、一般的に平安時代中期から造営されはじめたもので
室町期頃が最も多く、経典を理納したものなど様々なものがあるが、
この経塚には一石一字が墨書されている。
発掘調査報告書によると、造営年代は集礫の内容などから、
妙隆寺が真言宗から日蓮宗に改宗した14世紀後半頃と推定している。
これを寺の縁記にてらすと、開創 般若坊法印(はんにゃぼうほういん)
(改宗後は、日能(にちのう)と改む)か、第二世妙隆尼(みょうりゅうに)
のころと想像される。
また経塚からは、経石のほかに燈明皿(とうみょうざら)などが同時に
発掘されていることから、当時 伊東家の鬼門に位置したこの寺が
その折願所であったことを示唆している。」
本堂にあるケースには巻物が・・・。
鍵が掛かっています。
このケースに経石が入っていて、撮影をしたのですが、
撮影した経石は真っ黒になってしまいました(x_x;)
だからこちらの写真を!
伊東ー石佛石神誌より
妙隆寺の経石
境内にはこんな石もあります。
江戸城築城の際に切り出された石垣用の石材。
「大」は刻印!?
この石材は新井前山丁場奥山に採石場が残って
いるのでそこから出された石であろうと想像されて
いる。(伊東ー石佛石神誌)
こちらは伊東市 新井神社
この鳥居の近くにあるこの石
どういう意味を持つと思いますか?(●´ω`●)ゞ
昔、昔、男性が祈願していたそうです・・・
大きい声では言えません・・(*v.v)。
応援お願いします(^o^)










