伊東祐親(いとうすけちか)は千鶴丸を稚児ヶ淵に投げたのか!? | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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治承元年(1177)頼朝と八重姫の子供「千鶴丸」は

伊東の館で生まれました。


12月の終わり頃と思われるということで、今生きていれば

835歳∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


これでこれを撮ったのは3回目。頼朝と八重姫
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昨日は伊東市生涯学習センターに講師 加藤清志さん


のお話 「伊東祐親の子孫、工藤祐経の子孫」 を聞きに

行って来ました。


系図のお話は難しいですが、とても勉強になりました。


加藤清志さんが最後におっしゃった言葉、


「昔の歴史が事実かどうかより、言い伝えられてきた

文化それが価値がある」


それが私が探していた答えのような気がしました。

そして改めて遠い昔の歴史に答えはないのではないかと

感じました。



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約40年ぐらい前に発行された伊東家の子孫と思われる

伊東までさんの書いた本(八重姫・千鶴丸考)に出合いました。

女性の立場で頼朝と八重姫と子の千鶴丸のことを捉えていて、

とても共感を得ました。


伊東祐親は自分の孫を稚児ヶ淵に千鶴丸を投げ込んだと

いうことになっています。


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伊東までさんの本では「祐親は身に悪名を負いながら、

千鶴丸をひそかにのがした」

と書かれています。


この時期、清盛は後白河院を幽閉しています。

清盛は勢力があり、横暴なふるまいをしていました。


祐親は千鶴丸のことが一刻の猶予できないほど心配でした。

斉藤五郎・六郎という兄弟に命じて祐親は千鶴丸を逃したと

伊東までさんの本には書いてあります。


千鶴丸はこの時に甲斐源氏辺見義長の館へのがれたと

いうことになっています。



本当かどうかは判らないですが、ロマンを感じます(^-^)


もう少し探ってみます(-^□^-)





許可を得て写真を撮りました。

右側の方が本も書かれている加藤清志さんです。


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ところで 八重姫 ですが、美人で優しい女性であったという。


「八重姫は眉目や容姿が人にすぐれ芙蓉のまなざし、

やなぎの姿はそぞろに、若殿ばらの心動かし」


と菊地正美著の一節にあるそうです。

(かなり古い本だと思います)



美しい八重姫・・・・・


でも頼朝と一緒になったのは北条政子


NHK平清盛で北条政子役の杏さんは美しいけれど、


北条政子は・・・・・







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オヨヨ


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