源頼朝が伊東で住んでいた場所は何処だったのか。
源頼朝が住んでいたのは北の小御所。
ー北の小御所(こごしょ)の場所を勝手に探そうー
(-^□^-)
伊東市役所の建つ物見ヶ丘に伊東祐親の館があった
と言われています。
何度も行っていますが、伊東祐親の騎馬像を下から
見上げると凛々しいお姿であります。
今回は恵方巻きを買った時にもらった方位磁石を持って
行きました。(方向音痴なので★)
北側・・・・・→ やっぱり(^-^)/
源頼朝の為の館 北の小御所
御所は曽我物語にも出てくるということで、頼朝は配流の身
であっても源家の御曹司であったことを意識されていたそうです。
伊東裕親の館から北方向、小高い景勝の地(御所ですから)
ということで、現在の伊東駅周辺か?
伊東市湯川に 松月院 があります。
開創は1183年。
伊東祐親が自刃したのが1182年3月。
平家が都落ちして源頼朝の関東支配が確立した年の建立と
いうことで、この松月院の場所が北の小御所ではないかと
言われています。
松月院はもともとは現在の場所にあったのではないと
いうことは、伊東の民話・伝説に書かれていました。
松月院の弁財天 ↓
http://ameblo.jp/izu-a-r-r/entry-10852603277.html
寛文六年(1666)に大洪水で松原村にあった松月院は
流失してしまいました。
松原村は今の伊東駅周辺らしい。
民話より
「松月院の弁天祠の本尊は、享保年中、畠の中から掘り出した
金像の弁財天である」
とあります。
大洪水で流失した時に埋まってしまったものが掘り起こされた
のか・・・?
前方に手石島が見えます。
松月院境内は四季折々を楽しめます。
手入れが行き届いています。
頼朝は写経、読経、そして狩りにも時折出掛けたそうです。
祐親の娘八重姫と知り合った頼朝は日暮しの森で
待ち合わせをして、音無の森に行った。
北の小御所に居た頼朝と祐親の館は離れていて、
当時会うことは大変だったのではないかと思っていたのですが、
祐親の別館が音無の森付近にあって、八重姫はここに住んで
いたという。
北の小御所は今の伊東駅周辺・・・・・・・?
祐親の別館が音無の森付近にあった・・?
伊東駅周辺の地図 → ☆
伊東市役所の所が物見ヶ丘、伊東図書館付近が音無の森
松月院の場所 → ☆
詳しい方がいましたら教えてください(^-^)/
応援お願いします(^-^)