日曜の「平清盛」を見ていて思ったのですが、
伊東祐親が千鶴丸を抱きかかえて八重姫が後を
追いました。
八重姫の悲鳴が聞こえて来たということは、伊東祐親が
そこで千鶴丸を殺してしまったのでしょう。
伊東版曽我物語によると、千鶴丸生存説もあります。
東北地方に行ったという説です。
地元で語り継がれているのは、伊東祐親が家来に命じて
松川の淵へ投げて殺したというものです。
伊東祐親は、平家からの疑いを掛けられるのを恐れた
訳です。
TVでは余りにもあっけなかったので、がっかりしました。
地元で伝わる稚児ヶ淵から追ってみます。
下の地図
松川の淵(稚児ヶ淵(ちごがふち)と呼ばれるように
なりました。
伊東家の館があったと思われる場所
千鶴丸が流れ着いたと言われている富戸の海岸。
産衣石(うぶぎいし)
祐親がちょろっと行って、”きゃー”という訳には
行きませんね(^~^)
伊東市富戸の海岸
富戸の海岸で発見!(ノ゚ο゚)ノ
江戸城の石垣に使われたという伊豆石ではありませんかo(^▽^)o
残されたままになっているのですね。
富戸宇根展望台からの眺め
夏を感じますね
竜宮神社。近くにある三島神社の相殿に祀られている
若宮八幡(千鶴丸)と二年に一度御神幸が行われているというような
ことが書かれています。
産衣石のことは前にも(^-^)/ → ☆
宇根展望台からは伊豆大島もくっきりと見えます。
o(^▽^)o(笑ってごまかす・・これもユリ!?)
大島に向かっているのかな。
海の水がとても綺麗です。
伊豆は流人の人達が多かったようだけど、江戸時代などは
島流しの刑で流れて来る人は主に政治犯が多かったようで、
教養もあり、身分の高い人物が多かったようです。
源頼朝はずっと前の人になるけれど、流人であったけれど、
ある程度自由に暮らしていたみたいですね。
応援お願いします(*^o^*)