もうすぐ終戦記念日 | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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終戦記念日がまた来ます。

ここで終わったはずなのに、実は終わっていないのでは

ないか・・・そんな気がします。


最近「戦後史の正体」という本を読みました。

冷戦後の日米関係を理解しなければ、今の日本が判らない

と思いました。



前にも書きましたが、「伊東ー人物語」でも

掲載されている竹下甫水さん。


伊東市の書店経営の日々と伊東の諸文化。


竹下甫水(たけしたほすい)


1882~1962


いつも着物姿でこの表情だったという。

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竹下甫水時局日記


この日記を読むと、当時のことが良く判ります。




日記より

この日記を見れば、第二次大戦が如何(いか)にして勃発、如何に

発展して行ったかの全貌が大体解る・・・


この日記を書いた理由は兎に角(とにかく)戦時中は国策で公刑の

新聞、雑誌には眞相(しんそう)や正確な報道がなされず歪曲(わいきょく)

された宣伝記事に誤られて、一般国民は方向違いの事を考えて

いるから後世の為にこれが眞貫であり正しい記録であるということ示す為




昭和20年8月に相模湾奥に集結した米海軍艦隊   

図説伊東の歴史より

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下の作文は前にも載せましたが、

伊東市の男子の作文です。


ー児童作文集「田方文園」からー

(現在の伊東市・熱海市・三島市を含む当時の田方郡全域の

小学生の作文を収録したのが田方文園です・本書より)



松橋先生の出征    昭和7年  高校1年男子


(出征・・軍隊の一員として戦地に行くこと)



あ、自動車だ!八幡野の方に土けむりがもうもうと立っている。

やがて梅の木平の富戸の方へまがる所まで来た。


皆はもう旗を手に持って一せいに、きをつけのしせいをとった。

自動車はふりむきもしないで通り過ぎて行ってしまった。


「なあんだ。」「ちくしょう、そうじゃあねえ!」


等と口々に言っている。やがて遠くの方から自動車のきてきの

音が名残おしそうに聞こえて来る。


あっ!


来た来た日の丸の旗をひらひらとさせて、今にも泣き出しそう

な形をして走って来た。


小鳥もかなしくてかなしくて泣いてとんで行く。


自動車は僕等の前でピタリと止まった。松橋先生はと見ると今

自動車からおりるところだった。


そうする中に先生はするするとおりて来た。


僕はもう涙がほほを伝わりながれている。


やがて先生の万歳をやる事になって校長先生がおんどを

おとりになって一せいに万歳の声はかなしくかなしく

万歳万歳と向こうの山の方へ消えて行く。


真っ白な雪がポタリ


と落ちた。


夕日がさむそうに山のかげへしずんでゆく。僕はただ涙に

くれていて声も出なかった。


松橋先生は目に涙を一ぱいためて僕等の方へあるいて来た。


「ああ、もう先生と逢えないのか、なさけないなぁー」


やはり御国の為だからどうしようもない。先生は、皆にあいさつ

してしまうと、又自動車に乗った。


松橋先生 さようなら さようならと皆は狂人のようにさけんでいる。


自動車の上には、皆が乗せた日の丸の小旗が風に

なびいてかなしそうにひらひらとゆれている。


るおお


走り出した。


又一度先生さようならさようならの声がおこった。

とうとう自動車は向こうの方へ消えて行ってしまった。


みんなあっけにとられて暗の夜に急に電気でも消えたように

ひっそりとなった。




戦争っていったいなんだったのだろう・・・・

子供達の先生に対する思い・・・大切なことを教えて

頂きました。



梅の木平の富戸の方へまがる所・・・近くの一碧湖のこの景色

は当時も今もそれほど変わっていないのではないだろうか。
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