乗合自動車 | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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伊豆高原 遊リゾートの貸別荘(アートロード・ロイヤルハイランド・レイクタウン)です!

伊豆のあなたのお部屋としてのご利用をお待ちしております!

歴史を振り返ると山あり谷ありなんだなぁ~と改めて思います。


高度成長で上にずっと行くこともなかったのだから、

下に突き刺さることもないのだろう~って思いたいですね四つ葉のクローバー



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乗合自動車


現在の「東海自動車」の前身である「伊東自動車」は大正5年に

免許を申請して、資本金12,000円、株主85名でスタートしました。


乗合自動車  伊東ー宇佐美間  料金50銭


この頃、そば(もり、かけ) 5銭   米 一升 19銭


だったそうです。

だから乗合自動車の料金は、庶民の乗り物としては縁遠い存在

だったのです。


大正9年になると、制服、制帽、編上靴、レインコート、ゲートル、

作業服が支給され、若者の人気の職業だったようです。


お客様からのチップも多く、時には給料以上になることもあった。


だけど昭和4年11月9日 伊東町大火があり、本社、伊東営業所、

車両36両などが焼失したそうです。

その数年前には関東大震災もありました。


(歴史を振り返ると、やっぱ、山あり谷ありなんだな)


昭和7年頃

音譜バスは あかるい イエローカード音譜

伊豆の隅々で旅客や地元民の輸送に活躍しました。


美声なバスガールの活躍も人々の注目でありました。


黄金時代に向かって行ったのですが、大陸への戦争が拡大して

来ました。


燃料が不足で経営がピンチ。


木炭車の登場も余儀なき選択の一つであった。


油は漁獲したイルカの油から得るという切迫ぶりでした。


戦後は悲惨な復興期の苦しい時代。


高度成長期には観光ブーム。


(歴史を振り返ると山あり谷ありなんだな叫び


そして、現在バブル崩壊からジェットコースターで下るような感じで

下がって来ましたが、地面に突っ込むことなく、また空に向かって

上がって行くことに期待したいです。



大正中期 大川橋 乗合自動車
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昭和前期 大川橋 乗合自動車
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