今から13年程前に編集された「作文でみる昭和初期の伊東」
当時の伊東市教育長 望月 修氏はこの本を、
「いろいろな立場でご活用くださるようお願いします」
と書かれています。
本日は「子供の作文から」歴史を探りながら、子供の心を
見てみたいと思います。
ー児童作文集「田方文園」からー
(現在の伊東市・熱海市・三島市を含む当時の田方郡全域の
小学生の作文を収録したのが田方文園です・本書より)
松橋先生の出征 昭和7年 高校1年男子
(出征・・軍隊の一員として戦地に行くこと)
あ、自動車だ!八幡野の方に土けむりがもうもうと立っている。
やがて梅の木平の富戸の方へまがる所まで来た。
皆はもう旗を手に持って一せいに、きをつけのしせいをとった。
自動車はふりむきもしないで通り過ぎて行ってしまった。
「なあんだ。」「ちくしょう、そうじゃあねえ!」
等と口々に言っている。やがて遠くの方から自動車のきてきの
音が名残おしそうに聞こえて来る。
あっ!
来た来た日の丸の旗をひらひらとさせて、今にも泣き出しそう
な形をして走って来た。
小鳥もかなしくてかなしくて泣いてとんで行く。
自動車は僕等の前でピタリと止まった。松橋先生はと見ると今
自動車からおりるところだった。
そうする中に先生はするするとおりて来た。
僕はもう涙がほほを伝わりながれている。
やがて先生の万歳をやる事になって校長先生がおんどを
おとりになって一せいに万歳の声はかなしくかなしく
万歳万歳と向こうの山の方へ消えて行く。
真っ白な雪がポタリ
と落ちた。
夕日がさむそうに山のかげへしずんでゆく。僕はただ涙に
くれていて声も出なかった。
松橋先生は目に涙を一ぱいためて僕等の方へあるいて来た。
「ああ、もう先生と逢えないのか、なさけないなぁー」
やはり御国の為だからどうしようもない。先生は、皆にあいさつ
してしまうと、又自動車に乗った。
松橋先生 さようなら さようならと皆は狂人のようにさけんでいる。
自動車の上には、皆が乗せた日の丸の小旗が風に
なびいてかなしそうにひらひらとゆれている。
るおお
走り出した。
又一度先生さようならさようならの声がおこった。
とうとう自動車は向こうの方へ消えて行ってしまった。
みんなあっけにとられて暗の夜に急に電気でも消えたように
ひっそりとなった。
戦争っていったいなんだったのだろう・・・・
子供達の先生に対する思い・・・大切なことを教えて頂きました。
伊東高女性徒(昭和19年) 図説伊東の歴史より