仏現寺の御霊石~日本の平和をお願いしました~ | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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きれいであったかいこの絵はがきがお気に入りです。

昭和初期の伊東市です。(伊東いまむかしより)


紙の本や絵はがきなど消えないでほしいと願っています。
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       仏現寺の御霊石

惣堂坂(そうどうざか)を左下に見て、百段余りの

石段を登り切ると、すぐ右手が仁王門。

その山門をくぐると、左手に小さなお堂が見えます。

お堂の中には畳半分程の平たい石が、堂一杯に

立てられています。御霊石と呼ばれるこの石の

表面には、(南無妙法蓮華経)とお題目が刻まれて

います。

大正も初めの頃のこと。

東京下町の本所にある鉄工所で、よからぬことが

次々に起こりました。

「ボヤ騒ぎがあったのは、つい三月程前のことじゃ」

「この家の若い衆が、死ぬ程の大やけど負ったのも、

あの火元から一間(約二メートル)と離れていない所

だったぞ」

「あの場所、何かたたりごとでもあるのかなあ」

焼香をすませた人達は、あっちこっちに固まって、

気味悪気に話し合っていました。

ところが、騒ぎはそれだけではすまなかったのです。


四十九日も過ぎ、暗い気分を払おうと開いた花見の宴。

酒の入った勢いでけんか。けが人まで出る始末。

かと思うと、あっちの家から病人。こっちの家からも病人。


果ては死人の出た鉄工所の天井辺りに、夜な夜な

幽霊まで出るという噂。

そんな時、旅の行者が鉄工所の門前に立ちました。

「今すぐ掘ってみなさるがいい。ここの床下を…」

鉄工所の中に招き入れられた行者は、吸いつけられる

ようにあの場所へ。そこは、真っ赤に溶けた鉄を、頭から

かぶって死んだあの若い衆が、横たわっていた場所でした。

行者の指図に従い、床板をはがし土を掘ったところ、

地下三尺(約一メートル)ばかりの所に、平たい大きな石

がありました。

掘りだした石は鉄工所の庭先に運び出し、丁寧に洗い清め

ました。

いろいろ調べてみると、そこは江戸時代の旗本屋敷跡だった

ことがわかりました。

殿様にかわいがられた奥女中。

日増しに大きくなって行くおなか。

それに気づいた奥方のねたみ。奥女中は殺されて古井戸に

投げ込まれ、その上から平たい庭石をかぶせてしまったと

言うのです。

鉄工所の人達に運び出されたその場所が、偶然元の庭石

のあった所だったのです。

時移り、大正も終わりごろのこと。

仏現寺の日鴻上人(にっこうじょうにん)がこの話を伝え

聞き、その石を買い受けて伊東に持ち帰りました。

そして、石の表面に厄除けのお題目を刻み、各地から

たくさんの信者を集め、盛大な供養を行いました。

この御霊石は本当に生きているようで、お経をあげて

拝んでいる時汗をかくようなら、願いはかなうと言われて

います。

この絶え間ない信仰は今でも続けられています。



日蓮聖人古跡 仏現寺参道 昭和前期 (伊東いまむかしより)
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仏現寺にありました。
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御霊石です。

こんな時ですので日本の平和をお祈りしました。汗は・・・??
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これもブログですが、インターネットなど便利なものがたくさん出来ましたが、

一生懸命作成していただいた本(特に地元の本)には愛着が湧きます。

おもしろいので、もっと追究して行きたいと思います。


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