こんな立派な方が伊東にも居たのです!
一億一心 闇の世の中
ー「竹下甫水(たけしたほすい)時局日記」を読み解くためにー
加藤好一氏
竹下甫水には、特に懇意な政治家や事情通がいたわけでもない。
だが、伊東という田舎町にいながらも、各種外電の伝える情報
の核心をとらえそれを現状と対比して「自分の目」で
世界情勢の変化を見極め、ここまでの洞察を行ったのであった。
では彼が冷静で的確な判断を下すことができた第二のカギとは
何か。
それは、上記の分析を通して培った問題意識をもって戦時下の
新聞・雑誌記事を吟味したことにあった。
彼はそれらの情報を鵜呑みにせず、たとえば次のように批判的に
検討する。
・昭和19年元旦
新聞はベルリンが大空襲を受けたことは伝えるがその被害は
報じない。
だが、日本の新聞出張所三軒が焼けたことから街が廃墟になった
ことが推測できる。
この悲惨な戦争は対岸の火事ではない。
やがては東京もそうなることがある。
・昭和20年5月15日
総合雑誌現代三月号の座談会記事では「特攻精神でのりきれ」と
言っているが、政治は飛行機の体当たりとは違う。
増産がアメリカのようにいかないのははじめから分かりきったこと、
土台の桁が違っているのだ。
「ドイツは負けてから強くなり不敗の構え」
と断じているが、雑誌発売時にはすでに滅亡。それだけの期間も
見通せないとは、この筆者の頭脳は幼稚園程度。
店(文泉堂)に絵はがきを買いに来た兵隊が
「もうじき出撃だが、伊東にいて毎日ひっぱたかれるより早く戦地で
死んだ方がよい」
と、つぶやくのを聞き、
「捨て鉢になるほど虐待しなければ訓練にならぬのか。そうして
教育したはずの日本軍が与太者のようなアメリカ兵のために
国土まで追い詰められているのはどういうわけか」
と、その一兵卒に代わって軍部批判を展開する。
このように、常に民衆・弱者の側に立つことで、戦時にかこつけて
民衆の生活を踏みにじる権力者・国策への批判が可能になった。