何ともいえない趣のある明治末期の横磯の岩松。
これが残されていたら良かったのに・・・
新しいものも良いかも知れないけれど、
味わいがあるというものは、古いもののような
気がします。
源頼朝の時代の横磯の千本松はどんな感じだった
のだろう・・・。
名残の松(なごりのまつ)
湯川の外れから宇佐美へ続く海岸は、横磯と
呼ばれる磯浜で、千本松と呼ばれる松並木が続いて
いました。
千本松を通り抜けると、そこは宇佐美の初津。人家に
近い磯に赤い岩肌の岩石があり、頂上近くには
「名残の松」と呼ばれる見事は枝振りの松が、岩に
しがみついていました。
松の根本には小さなくぼみがあり、里の人達は頼朝の足跡
と呼んでいました。
平氏との戦いに敗れ、捕えられた源頼朝は、京の都から
伊豆へ流されて来ました。
頼朝は、伊東祐親が京に上っている間に、祐親の娘八重姫
と結ばれ、男の子が生まれ千鶴丸と名付けました。
三年ぶりに戻った祐親は、千鶴丸を見て心が乱れます。
京の都で見聞きした心の奥まで氷りつくような出来事。
源氏と戦って勝った平清盛は、敵方に回った自分の叔父を
切って見せました。
また、味方についた源義朝にも、敵方に回った父為義を
切るように命じました。そのうえ幼い弟まで殺させました。
千鶴丸は源氏の嫡子(跡継ぎをする子)だ。平気でむごい
ことをする清盛の耳に届いたら、義朝が幼い弟にしたように、
自分も千鶴丸の首をはねなくてはならない。
千鶴丸はかわいい盛りの孫。清盛に命じられて、おめおめと
手を下すよりは・・・。
祐親は心を鬼にして、千鶴丸を家来にゆだね(まかせ)松川の
上流轟が渕に、生きたまま沈めてしまいました。
「これもみな佐殿(すけどの)(頼朝)が犯した過ちから・・。」
悲しみに暮れる祐親は、怒りを頼朝に向けました。
それに気づいた八重姫の兄祐清は、北の小御所に走り、頼朝に
急を告げました。
八重姫とは離され、千鶴丸は殺され、それでも足りず、
自分の所に攻めて来ようとは。
「こうなったら、たとえここで命を落とそうとも、祐親殿
と最後まで戦いたい」
悔し涙を流す頼朝を見て、祐清は優しくなだめ、北の小御所
から送り出しました。
頼朝の向かう先は伊豆権現(現在の伊豆山神社)です。
伊東を逃れた頼朝は、千本松を右手に見ながら急ぎました。
やがて宇佐美の初津。
海岸にそそり立つ岩石によじ登り、松を背にしてひととき
名残を惜しみました。
闇の中に浮かぶ八重姫と千鶴丸の顔。
ともに過ごした楽しい日々。やがて楽しみは深い悲しみに
変わり・・・。
頼朝は足を踏み鳴らし、二人に別れを告げました。
今、千本松は切り倒され、横磯は埋め立てられ、名残の松も
岩石ごと姿を消してしまいました。
広げられた道路をたくさんの車が走っています。
(山本 悟) (伊東覚之書、他より)
明治末期の頃の横磯の岩松
現在の♪伊東に行くならハトヤ♪の海のハトヤホテルの辺り。
大正末期頃の横磯
宇佐美側から伊東方面を写したもの。
横磯の名物「千本松」はこのころにはないです。