「人間は遊びによって人になります。
そして、遊ぶからこそ、人なのです」
ドイツ詩人 F・シラー
GW遊んでいますか?
大室山の水鏡 山本 悟氏
磐長姫命(いわながひめのみこと)をまつる
浅間神社(せんげんじんじゃ)は大室山の山頂に
あります。
山頂からは水田の広がる池の盆地が見えます。
この水田のある所は、昔、周囲の山々から流れ込む
幾筋もの小さな流れの水がたまり、大きな池になって
いました。
池は、早春の山焼きで真っ黒になった山肌から、
すすきの穂が波打つまでの、移り変わる大室山の姿を、
まるで鏡のように映していました。
その池も明治のはじめころになると、池尻にトンネルを
掘って水を流し、干拓して水田に変えてしまいました。
大正も末頃のことです。
小川にそった山道を歩いていた村の年寄りがばったり
倒れました。年寄りは高い熱でもあるのかガタガタ
震え出しました。年寄りはやっとのことで小川のそば
まではい寄り、流れの中に顔を突っ込みました。
ところが飲んだばかりの水は、食べた物と一緒に流れの
中に吐いてしまいました。
これが村に悪病をはやらす元になったのでしょうか。
高い熱にうなされる呻き声が、あっちこっちの家から
漏れて来るようになりました。
ちょうどその頃、どこからともなく見知らぬ老人が
この村にやって来ました。
老人は大室山を背にして水田のへりに立つと、何やら
お祈りを始めました。その不思議な姿に気づいた村の
長老が、老人の近くまで歩み寄りました。
長老は1間(約1m)程離れた所に立って、お祈りの
すむのを頭を垂れたままで待っていました。
「目の前に広がる水田も、昔は大室山の姿を映す水鏡の
ような池じゃった。池村を名のってその池と一緒に栄えて
来たこの村。それがどうじゃ。
『私を映し出す鏡は今どこにもない』
大室山の神様はそう言って嘆いていらっしゃる。
ほんの小さなものでええ。
水鏡をこしらえてな。そのそばに祠を建ててお守り
しなされ。きっとお怒りは解ける」
お祈りが終わると、長老に気づいた老人は、諭すような
口ぶりで言いました。
村の長老は足元をみつめたまま、一つ一つうなずくように
聞いていましたが、ふっと顔を上げた時、老人は目の前から
消えていました。
老人に言われた通り、村では鳴川添いの山下という所にある
水田を買い求め、一畝歩(せぶ)(約百平方メートル)ばかり
の池を作り、大室山を映す水鏡にしました。
そばには祠も建ててお祈りすると、あれほど荒れ狂っていた
悪病も、いつか治ってしまいました。
けれどその後は見る影もなく忘れさられてしまいました。
「私たちの郷土池の歴史」より
大室山オハチの中にある浅間神社。
そのため地元の人たちは大室山のことを「浅間さん」と呼ぶことも多い
そうです。
そして大室山を見て現状の天気を判断したり、今後の天気を推測したり
していたようです。
「大室山(浅間さん)に雲がかかると必ず陽気が悪くなる」
「大室山見らっしゃい、今に降るぞ」
などと良く言われていたそうです。
伝説を読んで解ったこと、大室山は自分を美しいと思っているのです。
浅間神社に行ったら「いわながひめのみこと様は美しい」
と褒めてあげてください。
いいことある・・・かも。