頼朝と桶屋 鈴木 茂
和田村の桶屋が道端で、「げす桶」のたが締め
修理をしていました。
両足を伏せた桶の端にかけ、足の指先を器用に
使って桶を少しずつ回しながら、トントンと威勢よく槌音
(つちおと)をあたりに響かせる、のどかな昼下がりでした。
と、そこへ顔色も青ざめた若い武士が一人、手に刀を持って、
「敵に追われているのだ」
と息をはずませ、桶屋の前に走ってきました。
桶屋は一瞬びっくりしたが、すかさず
「すこしくさいが、がまんしろ」
と桶の一方を持ち上げました。男はためらいを見せたが、
「すまん」
と一声、桶の中に身をかくしました。
そしらぬふりで、再び桶のたがを締め始めたのと、
どかどかと数人の追っ手達が、手に手に武器を持って桶屋の
前に立ったのとは、ほとんど同時でした。
「桶屋、いま若い武士が逃げてこなかったか。嘘を申すと、
ためにならぬぞ」
と、険しい表情で問いつめました。
「へえ、むこうの方に行きました」
と槌(つち)を持つ手で追手達に示しました。
それっ、と勢いづいて追う足音が遠のくのを待って、桶屋は
ホーッと大きく息をついて、
「もう行ってしまったよ」
と武士を桶から出してやりました。
若い武士は、危ないところを助けてもらった礼を何度も言って、
「おれは頼朝という者だ。出世したら必ず礼をするぞ」
と追手とは逆の方角に去って行きました。
それから何年かして、全くそんなことを忘れていた桶屋の
もとに、鎌倉から使いがやってきました。
早速、御前に召し出された桶屋に、今や将軍となった頼朝
は、昔、命を救ってもらった礼をいい、
「何でも望みをかなえてやるから申して見よ」
といいました。桶屋は、
「往来で仕事をする私どもは、夕方かんな屑を散らかした
道の掃除をするのが一番難儀なので、もし掃除をしなくても
よいことになれば、ありがたいことです」
と申し上げました。
将軍は「よし」と、桶屋にかぎり、往来の掃除を免除すると
いうお墨付をくれました。
以来、今に至るまで桶屋は仕事の後片付けをしなくても
いいことになったといわれています。
(原話は鎌田の田中軍冶さん)
伊東市和田には「和田寿老人の湯」があります。
昔ながらの低料金で入浴できる温泉共同浴場。
入口には、七福神の石像が祀ってあります。
徳川将軍家献上の名湯、伊東最古の和田の大湯。
慶長3年(1598)湯小屋が建てられたのが発祥。
昭和11年 伊東を訪れた種田山頭火(たねださんとうか)
(戦前日本の俳人)は滞在中にたびたび和田湯で入浴したという。
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