伊東市 「物見の松」 盛衰記~伊東いまむかし~より | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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                         伊東市立伊東図書館

                        「伊東 いまむかし」 参考

        物見の松

                      物見塚公園


伊東の歴史的 原点 「発祥の地」 住民の自慢の場所であった

「物見の松」


「物見の松」は「物見塚」とも呼ばれています。


この「物見の松」のある台地は「大原」の名で呼ばれています。

この地に立つと、伊東港が望まれ、初島、手石島、宇佐美、熱海地域

のたたずまいも望見されます。



大正初期の「物見の松」


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現在の伊東市役所となりの物見塚公園


昭和十年代の「物見の松」
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書家として知られた尾上紫舟の歌碑が物見の松の脇に立っています。



「つけすてし 野火のけぶりの あかあかと みえゆくころぞ 

 

 山はかなしき」


天城山の付近で山焼きを見た旅人の胸中を読んだ作品だそうです。


昭和前期の「物見の松」紫舟の歌碑


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そして現在、

物見塚に立っているのは後継の松です。



昭和四十年代に全国で松枯病の大流行が始まり、「物見の松」も

懸命の消毒を計ったが松枯病に勝てず枯死してしまいました。


昭和五十七年六月十一日に代倒式が行われました。

年輪は三百三十年ほど、四代将軍家継の頃と思われるそうです。


年輪から推定される天明二年(1782)の頃、幅二十糎(センチメートル)

の玉キズがあって、ヤニ溜が認められ、強い風によって生じたものと

考えられるそうです。


天明二年七月十五日に狩野川の大洪水が起きていました。


また天明、天保の全国的な大凶作は知られていますが、伊東市和田村

の文書によりますと、山野の草も食料となるもの一切取り尽くし、

餓死人七十人といった痛ましい記録が残されています。



今の「物見の松」は四代目 平成十年三月に移植されたものです。

現在は「物見塚公園」になって「伊東祐親像」が置かれています。


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鎌倉方面を睨む(?)伊東祐親像
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現在の尾上紫舟の歌碑
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物見塚の四代目の松(?)
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物見塚公園から伊東港を望む
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未来を感じるためには、現状をしっかり見ることが必要なのでしょう。

今を見るとこの先どういう方向に向かっていくのか分かるようになって

くると言われています。

それができるようになるのには、情報を多くつかむ必要があると思います。

そして歴史は語ってくれているといつも思います。

歴史を掘り下げると、繰り返されていることが分かって来ます。


そして流れていく・・・・



そうだ!
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お願いします。m(_ _ )m