春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。
どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。 長田 弘 詩ふたつより
伊東駅裏の伊東公園の芝桜(花言葉 忍耐)が綺麗でした。
震災で亡くなられた方が1万3232人 12日現在
伊東いまむかしより (方言って難しい)
伊東市宇佐美の方言 昭和20年頃 「学校のこと」
おらぁちが、がきのこらぁさ、ひったぱけたとこをこそくりたええた、
絣(かすり)のキモンを着せられてさ、ゴトッパナァぶらくってねえさ、
学校なんかに通ったあもんさ。
服だあなんてヘエカラなもんを着てえるてえなんか一人だあって
居なかったさ。
鞄なんてぇもんもねぇから、ふるしさい、ひっくるんで、もってったあもんさ。
はきもんだぁって、じょうりか、せえぜえチビタ下駄ぐれえがいいとこで、
なかにゃあハダシもいたあだから。
どこだあって貧乏だから、まるでひでぇくらしさ。
休み時間にゃあ運動場で目いっぺえたばけまわり、
「うなぁ」 「こどう」 「あまっこ」 「うんならかせ」 なんかいいあった
怒鳴り声で、にぎわっていたもんだった。
担任の先生だぁってチイット悪たれれば、いきなりビンタァくうぐれえは、
めえんちで、もんくうゆう、親なんか、一人だぁって、ありっかあねえさ。
宇佐美城宿 中島氏(鈴木氏)
伊東市宇佐美の方言「学校のこと」
私らが子供の頃は、破れた所を繕った絣の着物をきせられ、
はなをたらして、学校に通っていたものだった。
洋服なんて高級なものを着てくる者なんか一人だっていなかったさ。
鞄なんかも無かったから、風呂敷に包んで、もっていったもんさ。
履物も草履か精々使い果たした下駄位が、いいところで、中には裸足も
いたから、どこも貧乏だから、まるでひどい生活だった。
休み時間には運動場で精一杯ふざけ回り
「おまえ」 「小僧」 「女の子」 「なぐる」 なんか言い合った怒鳴り声で、
賑わっていたものだった。
担任の先生だって少し悪さをすると、いきなりビンタをくれるのは、ごく
日常のことで、親がそんなことで、文句をいってくる者は一人も
あるはずがなかった。 鈴木氏
悪いことをして遊ぶ子供はいても、心は清らかで素直だったのでしょうね。
先生のビンタも愛情があるからこそだったと思います。
昭和20年、戦争が終わった頃、極貧であっても子供たちは運動場で
ふざけ回るほど元気いっぱいだったのですね!
伊東公園
大正二年、旧伊東公園が出来ました。
昭和初期の頃
伊東が温泉のメッカの一つでもあり、観光地でもあったことはまぎれもない事実
であったようです。