日蓮と船守弥三郎 (伊東市 川奈) 枝垂れ桜と共に | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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伊豆のあなたのお部屋としてのご利用をお待ちしております!

しょっちゅう通っている場所なのに、何かが違う。

場所を調べて話の内容を頭に入れて、”その場所”を探す。

発見した時の喜びは大きい。

今、地元がおもしろい!



日蓮と船守弥三郎             鈴木茂


日蓮は「立証安国論」を鎌倉幕府に奉りましたが、幕府の怒り

をかい、伊豆に流罪となりました。


弘長元年五月十二日、役人は日蓮を伊東の「まな板岩」に

置き去りにしました。


漁師弥三郎が漁の帰り、波間に見え隠れする岩に一人の

僧が腰まで水につかっているのを見うけたのは、やがて夕闇の

迫る頃のことでした。


急いで岩に船を漕ぎ寄せ、ほとんど意識を失いかけている僧を

助けて、船に救い上げました。


「四、五日も静養すれば元の体になりましょう。もう安心で

ございます」


と力付け、櫓を漕ぐ手に力をこめて家路に急ぎました。


「拙僧は日蓮と申し、流罪の身だ。かかわりを持っては迷惑が

かかる」


と日蓮は弥三郎夫妻にいったが、


「そんなこと、少しも気にすることはありません。安心して、

おまかせ下さい」


と夫妻は、漁具を収納しておく洞穴にかくまい、手厚い世話

をしました。

日蓮は後に、この夫妻の献身的な介抱に感謝して、お礼の

手紙を送り、まるで私の両親が伊豆の伊東、川奈にいて、

世話をしてくれたようだといっています。


この手紙が「船守弥三郎許御所(もとごしょ)」(日蓮が弥三郎に

送った手紙)として知られているものです。


弥三郎夫妻は約三十日間、日蓮を洞穴に匿い(かくまい)ました。




弥三郎は元、甲州上野原の武士で、何らかの理由から伊東に

来て、漁師になったとも伝えられています。

弥三郎は川奈とも八幡野の人ともいわれています。

夫妻の墓は川奈の蓮慶寺にあって、今もなお線香の煙が

たえません。


伊東に川奈と富戸の二ヵ所に「まな板岩」といわれるところが

残っています。

ひと頃、その「まな板岩」をめぐって論争が続いたとことが

ありましたが、今だにどちらとも決着がつきかねています。


日蓮が許されて伊東を去ったのは、二年後の弘長三年二月

二十二日でした。

川奈の蓮慶寺の船守弥三郎夫妻の墓

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蓮慶寺の枝垂れ桜は有名です。咲き始めていました。
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この言葉、日本中に届け!(凄いマッチョなお坊さんですね)


おねがいしますマッチョ



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