毎年8月に 「伊東祐親(すけちか)まつり」 が行われています。
そもそも伊東祐親ってどういう人?
伊東物見塚公園に騎馬武者像が建てられています。
勇ましい姿です。
平安時代末期の伊豆の豪族です。
父 祐家が亡くなるとと祐親(すけちか)の祖父は後妻の連れ子の 工藤祐継 を
適子として本領の 伊東荘 を与えました。
祐親(すけちか)には 河津荘 を与えました。
伊東荘 を与えられた 工藤祐継 が亡くなると、祐親(すけちか)は、 工藤祐継
の子 工藤祐経 から 伊東荘 を奪ったのです。
工藤祐経 はこれを恨みました。
そして祐親(すけちか)の子、 河津祐泰 を狩場で射殺しました。
これが、その後18年経った時に起きる曽我兄弟の仇討の原因となります。
伊東祐親と頼朝
前に書いたものです。
祐親(すけちか)は千鶴丸を松川に流した後、頼朝を殺害しようとしたがしっぱいに
終わりました。
その後祐親(すけちか)は出家します。
伊東祐親は自害します。寿永元年2月15日のことです。
伊東の自分が創建した東林寺に葬られました。
東林寺近くにある伊東祐親の墓
河津三郎の墓も東林寺にあります。
河津三郎の墓
曽我兄弟の供養塔
江戸時代なると曽我物語として流行りのドラマとなりました。
パンフレットのような物まで作成されていたらしいです。
伊東祐親は勇ましい伊東の英雄なのでしょう。
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