この3ヶ月間はたくさんの方との新しい出会いがありました。

人との出会いは人生の刺激になり、考え方も柔軟になると思います。

 

一歩踏み出す勇気、踏み出せば結果は必ず後からついてきます!

 


 

前回のブログでは、被害者の方たちの活動を見てきた私には、「刑期は終えたのだから好きに生きたい」とは言えないと書きました。

碧の森の運営を始めてそろそろ3年が経過しようとしていますが、今日のブログはこの3年間で感じたことを書いていきます。

 

言葉は通じるのに日本語が通じない


私が違和感に気付いたのは碧の森を始めて1年ほど経過したころです。受刑者と文通をする中で、言葉は通じるのに日本語が通じないと感じることが増えていきます。

実際にお話しをする元受刑者にも同じことが起きていて、質問をしても全く違う答えが返って来たり、人の話を黙って聞くことが困難な人がいます。

一言で言えばコミュニケーションが取れないのです。

低学歴の受刑者に多いのでは?そう思った方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなことはありません。高学歴ほど話を聞かない(聞けない)場合もあります。
 

碧の森を始めたばかりのころは「高学歴なのになぜこんなにも話が聞けない?」と疑問に思うことがありました。

元受刑者や前科者は認知の歪みが大きいですが、学歴は全く関係ないのだと痛感した3年でもあります。

 

知的障害と精神障害を持つ受刑者の数

 

2019年に新たに受刑者となった総数は17,464人。このうち

知的障害のある人は20.1%
精神障害のある人は14.8%
・高齢者は12.9%

 

知的障害は発達期までに生じた知的発達の遅れのことで、精神障害の主なものは統合失調症、うつ病、双極性障害、発達障害などです。

私が「日本語が通じない」と感じた人たちは、このどちらかに当てはまる方たちだと思っています。

日本語が通じないと思っても、根気強く時間をかけて対話をすれば理解をしてくれる人もいます。

根気強く時間をかけて対話をしても、全く理解しない人もいます。

 

もしかすると夫の人生は…

 

ここで湯浅の夫を例に出しますが、夫はそこそこの高学歴でADHDとASDのグレーです。


出所後にカサンドラ症候群と戦いながら夫を見てきましたが、高学歴なのは発達障害のおかげと言える部分があると感じています。

異常なまでの集中力、他人を全く気にせず自分にしか興味が無い視野の狭さは、彼の大学入試と資格取得にとても有利に働きました。

私の出所を待てたのも、彼の特性が大きく影響していると思います。

夫も最近ようやく理解し始めたようですが、発達障害だからこそ今の仕事ができているところがあります。

 

人生は紙一重の連続


2年くらい前です。もしあなたが大学に落ちて今の資格が取れなかったとしたら、今ごろどうなっていたと思う?と夫に聞いたことがあります。

初めは「全く想像できない」と言っていた夫ですが、話をしているうちに「引きこもりや無敵の人になっていたかも知れない」と言いました。

私はこのときに思ったのです。精神障害を持つ人は(グレーの人を含め)、紙一重で人生が分かれてしまうのだなと。

精神障害の生きづらさを勉強や資格取得に転化できる夫のような人もいれば、生きづらさから周囲の環境が悪くなり犯罪に手を染める人もいるのです。

 

自分に障害があることに気付かない


自分で鬱だ、と実感するのは難しいです。

周囲の人が気付いて「大丈夫?」と声を掛け、あれ?わたし鬱なのかな?と初めて気付く。

私は夫からの指摘で鬱っぽくなっていることに気付いた経験があります。自分のことは自分で気付けないものなのです。


ブログ冒頭の「言葉は通じるのに日本語が通じない」に戻ります。

ある程度の会話や文通を通してあれ?と感じた場合、私は医師ではないので診断はできないとお伝えした上で、

 

「ADHDやASDの傾向があるかも知れませんので出所後に病院へ行ってみませんか?」とお伝えします。

そこで初めて「ADHDとASDって何ですか?」という疑問だったり、「生きづらかったのは発達障害があるからかも知れない」と気付くことができます。

 

明らかにチックの症状がある人が居ましたが、パートナーはずっと本人の癖だと思っていました。

よくよく話しを聞くと、抜毛症や脅迫的に頭を壁にぶつけると言った自傷行為も発覚し、「それはチックと抜毛症かも知れないから病院で検査を受けてみませんか」とお伝えしたことがあります。

ただ、診断に行くか行かないかは本人次第。本人がそれでもいいと思えば、無理矢理病院へ連れて行くことはできません。
 

支援を受けてほしい人ほど受けたがらない

 

公的な支援が必要だと思う人ほど、病院嫌いだったり支援を受けることを嫌がります。

ここは本当にもどかしいし悩ましいのですが……、碧の森じゃなくてもいいからとにかく公的機関に相談に行って!と思う人が山ほどいます。
 

私はいま通信制大学で福祉の勉強をしていますが、初めて知る福祉支援がたくさんあり驚いています。

国や地方自治体の広報が足りていないのも問題ではありますが、日本は福祉が充実している国だと思います。


 

ブログ冒頭の数字を再度見てください。
 

2019年に新たに受刑者となった総数は17,464人。このうち

知的障害のある人は20.1%
精神障害のある人は14.8%
・高齢者は12.9%

 

知的障害と精神障害を合わせて34.9%、この方たちへの医療的なアプローチを刑務所内でしていく必要があります。

そして出所後に適切な支援へ繋げることも刑務所(法務省)の役割だと思いますが、法務省だけに丸投げするのではなく、地域が社会復帰する受刑者を受け入れる体制が整い、初めて進められる支援だと思います。


人様に迷惑を掛けるな!という価値観を植え付けられている方。

支援を受けることは恥ずかしくも迷惑でもないことを知ってください。
 

出所後にネイリストの資格を取得するためRoseネイルスクールに通い始めました。

Roseではネイル以外のことをたくさん学ばせていただきました。

私のハンドルネームである依存症子が生まれたのも、アメブロを書き始めたのも、碧の森を立ち上げたのも、産業カウンセラー養成講座に通ったことも、国家資格キャリアコンサルタントを取得したのも、全て荻原先生がきっかけです。

出所後の認知の歪み
他者と比べるクセ
過敏性腸症候群との闘い

この動画には碧の森の活動の原点がたくさん詰まっています。

人生に迷う方、これからどうしたら良いか分からない方、キャリアの問題を抱えている方、もちろん元受刑者や依存症者とそのご家族やパートナーさんにも、ぜひ観ていただけると幸いです。

湯浅にもこんな時期(ステージ)があったことをぜひ知ってください。

チャプターを付けたのでお好きなところからご覧いただけます。ラジオ感覚、倍速でどうぞ!

 

 




 

前回のブログでは元親戚が自死したと聞いた翌日、自宅で飼育していたアゲハ蝶が羽化したと書きました。

会いに来てくれたんですよ、というコメントをいただきました。私もそう思います。

あたたかいお言葉、どうもありがとうございます。

 

池袋暴走事故遺族の松永拓也さん

 

皆さんは池袋暴走事故を覚えていますか?

概要をWikipediaから抜粋します。

 

2019年4月19日、乗用車を運転していた飯塚幸三(当時87歳)が、ブレーキとアクセルを踏み間違えたことによって車を暴走させ、歩行者・自転車らを次々にはね、計11人を死傷させた(母子2人が死亡、同乗していた飯塚の妻を含む9人が負傷)。自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で書類送検・在宅起訴された。(中略)この事故は高齢ドライバーの事故対策に対する社会の関心を高めるきっかけとなり、高齢者の運転免許証の自主返納が増加したとされ、本事故などを契機に高齢ドライバーの事故対策に関する議論や法整備も進められている。


この事故から5年。松永さんは心情等伝達制度を利用し飯塚氏と面会をしました。

心情等伝達制度とは、刑務官などを通じて被害者や遺族の心情などを加害者(受刑者)に伝える制度で、被害者側が希望すれば、心情を伝えられた際の加害者の様子や発言を知ることができます。

 


↑まずこちらの記事をご覧ください。

 

私は誰からも認められ赦されている?


碧の森を始めて早3年、この3年でキャリアコンサルタント国家資格取得、現在は通信制大学で学びながら活動をしています。

前科を隠さず今の活動をしていると錯覚することがあります。

私は誰からも認められ、赦されていると。

私がお会いする方たちは、私が前科者だからと言って排斥するようなことも、差別するようなこともしません。むしろ今の活動を応援してくれます。

湯浅さん頑張って!
応援しています!
刑は終えたのだから堂々と生きて!

このようなお声をいただいたり、私の活動に理解を示してくださる方が増えるのはとても嬉しいです。

 

批判は受け止めます

 

本当に有難いことに、碧の森の活動をメディアに取り上げていただくことも増えました。

取り上げていただける理由として、過去の自分と向き合い、過去の自分に挑戦し続け、出所後に自分なりの努力を続けてきた結果だと思っています。

そこにはもちろん進藤さんの存在や夫の支えがあり、応援してくださる皆さんとアメブロにコメントをくださる皆さんの力も、私の大きな原動力となっています。

メディアに取り上げられた後のYahooコメントやYouTubeのコメント欄を見ると、一生刑務所から出てくるな、犯罪者に税金が使われるのはおかしい、自業自得、真面目に生きてきた人が不遇なのに犯罪者に甘すぎる、自己責任、武勇伝を語るな等の意見が散見され、誹謗中傷にあたるコメントも当然あります。

名前や所在を明かした上で面と向かって意見を言われるならば真摯に受け止めますが、悪口や非難、誹謗中傷にいちいち耳を傾ける時間は私にはありません。

私の活動を全て知った上での批判は苦言と理解し、しっかり受け止めます。
 

 

応援「しか」聞こえなくなると…

 

コメントでは酷い書かれようでも、実際にお会いする方からはそんな声は聞こえない。

私がお会いする方たちは、今の社会を変えようと熱く動いている方たちです。

前科者だから、元受刑者だから、生活保護だから、精神障がい者だから、依存症だから、そういう括りで人を見ていない方がほとんどなのです。

そういう方たちと共に社会を変えたい!真剣に思い行動を起こせば起こすほど、私の周囲に協力者や理解者が増えていきます。

それはとても嬉しいこと、素晴らしいことです。


その反面、応援や励ましの言葉「しか」聞こえなくなると、私の活動が万人に理解され、受け入れてられると勘違いしてしまうことがあります。

 

被害者を忘れないために

 

多くの方は応援をしてくれる、それはとても有難いし嬉しいことですが、私には厳しい意見を持ち指摘してくれる人が必要だと思っています。
 

その理由は、頭の中から、心の中から、被害者がすっぽ抜けてしまうと思っているからです。

被害者の存在がすっぽ抜ければ、きっと言葉や行動に出てしまうと思います。私は被害者のことを忘れずに活動を続けていきたいのです。

 

 

こちらの記事の最後にはこのように書かれています。
 

加害者は刑期を終えたあとには社会に復帰します。しかし、被害者や遺族にとって事件事故の前の日常が戻ることはありません。

 

前科を持つ仲間だけではなく友人にも「刑は終えたのになぜそこまで自分を追い込むんですか?」、「そこまで課す必要はないのでは?」と言われることもあります。
 

松永さんの活動をずっと見てきた私には、性被害者として加害者と対話を続けるにのみやさをりさんを見ている私には、性被害を受け被害者になったことのある私には、

「刑期は終えたのだから好きに生きたい」とは言えないのです。

 

読者の方に勘違いしないでいただきたいのは、自分を追い込んでいるのでも、虐めているのでもないということ。

いずれ受刑者は社会復帰します。加害者も被害者も社会で共存しなくてはなりません。その方法を自分なりに探し続けたいのです。

加害者もまた、事件事故の前の日常が戻ることはありません。

私なりの生き方を、勉強しながら探し続けたいと思います。
 

湯浅の人生を変えた人、というタイトルで進藤さんとの対談動画をupしました。

記念すべき第一回はもちろん進藤さんです。その理由は読者さんなら予想がつくと思いますが、私の更生の原点が進藤龍也牧師だからです。

今回は前編です。湯浅静香chの編集者であるなごみちゃんが進藤さんに質問をぶつけます。

なごみちゃんは依存とも犯罪とも前科者とも関わることなく、まっとうに生きてきた人です。そんななごみちゃんが「ヤ〇ザ」への率直な疑問を進藤さんへ投げかけます。

動画開始から1:36あたり
なごみ:あの、本当にヤクザに関して無知なので、教えていただければと思います。

なんて可愛いんだ··········ヤクザに関して無知なのが普通なのです!

今回の動画にはチャプターをつけました。
気になるところから観ていただけます。

 

 

前回のブログでは、加害者は被害者意識が強いと書きました。
 

まだ読まれていない方はぜひ読んでいただきたいです。なぜ加害者が被害者ぶるのか、私の経験と体験から例を出して分かりやすく説明しています。

 

今日のブログは登場人物が多いので最初に注釈を入れます。

 

Nさん:6/17の元受刑者BARに来てくださった支援者さん
S:湯浅が10代で夜職をしていたころのお客様、飲み友達(同い年)
M:Tの元嫁、同じお店で働いていた同僚でSの妻(同い年)
T:私の父の兄の息子、Mとは離婚
Eちゃん:TとMの子で女の子、遠いけど私と血が繋がっている

 

Sとの再会

 

6月17日に開催した元受刑者BARで初めてお会いしたNさんが、FacebookにBARの様子と私の写真を投稿しました。

それを見たSがNさんにMessengerを送ったのが始まりです。

「これ静香ですよね?大宮の」
NさんはSにそうだよ、と返信します。

Nさんは私に「SくんからこんなMessengerが届いたよ」と教えてくれました。

私は18歳から夜の仕事をしていましたが、そのころよく飲みに来ていたのが同い年のSです。

Nさんから、Sの妻であるMが今年の2月に亡くなったと聞きます。

私はNさんと通話をし、Sが嫌でなければお線香をあげさせてほしいと伝言をお願いしました。Nさんは快く承諾してくださり、私とSの間を取り持ってくれました。

そのお陰ですぐSと連絡を取れました。二人で泣きました。

話をしたのは12年以上ぶりです。

 

Sの奥さんはM、私の元親戚で夜職の頃の同僚

 

元親戚で同僚というだけで情報量が多いのですが、説明します。

私の父の兄の息子がT。そしてTの嫁だったのがMです。TとMの間にEちゃんが生まれますが、二人は離婚します。

その後SとMが結婚し、SとMでEちゃんを育てます。やがてSとMの間に男の子2人が生まれ、3人きょうだいとなります。

離婚と結婚の理由はいろいろありますが、ここでは割愛します

 

Mの死因は自死

 

6月24日に弔問に伺います。自宅にはMの写真がたくさん飾ってありました。

私が服役していたことをSもMも知っていたそうです。私の活動を知ったSがアメブロに偽名でコメントをくれたことがあると聞き、本名でコメントしろよ!とノリ突っ込みをしながら、なぜこんなことになったのか話を聞きました。

詳しいことは書きませんが、Mは鬱が酷くなり、3人の子どもとSを残して2024年2月に自死をしました。

飾られた写真の中には、私とMの現役時代の写真がありました。私のプリクラもありました。

私とMはナンバー1を争っていました。今で言えば色恋営業が得意なのがM、私は楽しくワイワイたまに色恋。私たちは対照的だったと思います。

Tと離婚してSと結婚すると聞いたときは正直複雑な気持ちになりましたが、SとMの結婚式に参列して二人を祝福しました。

 

私と同じ血が流れるEちゃんと20年ぶりの再会

 

薬物や向精神薬のおかげでおぼろげですが、親戚同士の集まりで、父がまだ赤ちゃんだったEちゃんを抱っこしていた記憶があります。

 

そこから20年が経過し、一人の大人になったEちゃんと言葉を交わします。Sは自分が本当の父親ではないことをEちゃんに伝えたと言います。

「私はあなたの本当のお父さんと親戚です。私のお父さんはあなたが赤ちゃんのころ、抱っこしたことがあります。私とあなたはいとこで、同じ血が流れているんですよ。」

 

何かあればいつでも連絡してきてくださいと伝え、Eちゃんは礼儀正しく挨拶をして部屋を出ていきました。


この子と私、血が繋がってるんだよな。
父も母も死にきょうだいも居ないひとりっ子の私は、Eちゃんを守りたいという気持ちになりました。

 

不思議ですよね、服役前や服役中はそんなこと全く考えなかったのに。

 

生きてさえいれば何とでもなる

 

自死を選んだMは、それだけ生きることが辛かったのでしょう。

Mが亡くなりまだ4ヶ月ですが、Sの憔悴ぶりを見るのもつらかったです。

自死遺族は必ず自分を責めます。

・もっと自分にできたことがあるはず
・傍についていれば死ぬことは無かった
・もっと話しを聞いてあげればよかった

私はSを見て思いました。

自死だけはダメだと。
絶対にしてはならないと。

そんな私はくだらない理由で自死を試みたことがあります。26か27歳のころです。

自死を試みた私から皆さんにお伝えしたいこと。

あのとき死ななくて(死ねなくて)本当に良かったと思っています。


生きてさえいれば何とでもなる。
自ら死を選んじゃダメなんです。
人生を全うしないとダメなんですよ。

少なからずMには生きなければならない責任があったのです。


自分の命なんだから好きに使っていいじゃん!確かにそうかも知れない。

でも自死だけはダメ。
誰が何と言おうとダメなんです。

今日のブログは私にしては珍しく、根拠も何もありません。

湯浅は生きていて本当に良かったと思っている。そのことを皆さんにお伝えしたかったです。

生きているから素晴らしい人たちに巡り会えた。そしてこのブログを書くことができている。今の活動もできている。

私はこれからも精一杯足掻いて、人生をどう歩むか考え続けたいと思います。

 

 

 

最後に……


SからMの自死を聞かされたあと、ベッドで「死んじゃダメなんだよ。どんだけ辛くても死んだら終わりだろ!」とぶつぶつ呟き泣きながら眠りに就いた翌日、奇跡が起きました。

私は大学のレポートを書くためにアゲハ蝶の幼虫(青虫)を飼育しています。

自然界は非常に厳しく、これまで蛹になった子8匹が全てヤドリバエに寄生され、中から食い破られて死んでしまいました。

もしかしたら1匹も羽化しないかも知れない……。そんなふうに諦めていたんです。

 

 

Mが自死したと聞いた翌日にこの子が見事に羽化したのです。

羽根が完全に乾いたことを確認し、精一杯生きるんだぞー!と声を掛けながら夫と一緒に自宅から送り出しました。

Mの死と直接関係ないけれど、私はこの出来事を一生忘れないでしょう。

世の中に偶然は無く、全て必然なのですから。
 

人生の半分、約25年を刑務所で過ごした男性に一体いくらの税金が投入されたか大雑把に計算をしてみたら、なんと1億円でした。


受刑者1人あたり年250万円~300万円がかかると言われています。

出所から1年半、こんなに長く娑婆に居るのは初めてだと笑う彼は、一生懸命働き社会に恩返ししたいと毎朝3時起きで頑張っています。

人はいつでもやり直せる。

前回のブログでは、刑務所処遇の変化についたコメントを抜粋しました。

今日のブログは加害者の被害者意識について書いていきます。長らくブログをサボってすみません。

 

加害者は被害者意識が強い

 

は?加害者が被害者ぶるなんて、ましてや被害者意識が強いなんて頭おかしいでしょ!というご意見が聞こえてきそうですが、まず私の経験をお話しさせてください。

これまで湯浅のブログをずっと読んでくださっている方はご存知だと思いますが、服役中の私は自分のことを「こんな所に閉じ込められる私はなんて可哀想なんだろう」と思っていました。

夫を含め多くの人を騙し、嘘をついて裏切り、週3回4時間人工透析をする母親の髪の毛を掴んで蹴り飛ばし、家中を引きずり回して「お前なんてここから飛び降りて死ね!」と言い放ち、スリルを求めて欲しくもない物を散々盗み、最終的に服役することになりました。

それでも私は、自分のことをずっと被害者だと思っていました。

 

自分が被害者だと思った理由は?

 

母から受けた虐待とネグレクトについて年齢を重ねる度に恨みに変わり、私は被害を受けたのだから母に仕返しをしてもいいんだという思考になりました。

私をパチンコ屋や雀荘に連れ回したのは主に母でしたが、自分がギャンブル依存症になったことを両親のせいにしました。

刑務所に来てしまった理由は、両親がろくな教育を(倫理観や一般常識)してこなかったからだと思いました。

私の薬物とギャンブル依存に薄々感づきながら、止めてくれなかった夫にも強い被害者意識を持っていました。


こんなどうしようもない両親に育てられた私って、なんて可哀想なんだろう……。

 

裁判の情状証人にさえならない母や夫は、親の責任も夫としての責任も果たさない。

理解者が居ない私は、なんて可哀想なんだろう……。


自分の罪を棚に上げ、本気で自分を被害者だと思っていたのです。

今も虐待の被害者であることに変わりはありませんが、これは後述していきます。

 

被害者意識を無くすには?


確かに私は虐待やネグレクトを受け、幼少期からギャンブルをする環境で育ちました。

身体の傷は治り消えたとしても、そのときに受けた心の傷は消えません。痛かった記憶、怖かった記憶、鬼のような形相の母の記憶、それらは消えることはありません。

母の顔色を伺い、タバコ臭いパチンコ屋の中でやりたくもない球拾いをし、母のご機嫌を取る自分がピエロのように感じました。

タバコが大っ嫌いなのに、楽しくないのに、母のご機嫌取りのため笑顔をつくる自分の姿を今も鮮明に思い出すことができます。この記憶も消えることは無いのです。


これらは私の心の傷のほんの一部です。

自分が誰に、どんな傷を付けられたのか。

この傷に自分で気付いて癒されない限り、被害者意識が消えることはありません。

 

自分の被害と加害を分ける

 

私は両親から虐待やネグレクトといった被害に遭いました。(今日のブログでは幼少期の性被害は横に置いておきます)

そして私は窃盗という加害をしました。

この2つはきちんと分けて考えなくてはなりません。

・両親から虐待を受けたからといって罪を犯していいのか?
・精神疾患だからといって人を傷付けて良いのか?傷付けて良い理由や免罪符になるのか?

なりませんよね。
被害者からすればだから何?となると思います。


私は両親からの虐待やネグレクトで傷付きましたが、それと加害行為は別の問題で、被害者にとって私が虐待を受けたことは関係がありません。

過去の自分が何に傷ついたのか、何に憤って生きてきたのか、人生の棚卸しをしなければ加害行為と向き合うことはできません。

 

アイツが悪いからこうなったんだ、アイツのせいで自分が不遇なんだと、いつまでも被害者意識が抜けないまま人生を過ごすのは、決して前向きではありませんし、被害者に対して失礼極まりないと私は考えます。

 

 

過去に何があろうが犯した罪は罪、償わなくてはなりません。

 

自分の被害を受け入れてください

 

・自分は○○に傷付いたんだ
・自分は○○に傷付けられたんだ
・自分は○○に怒ったんだ
・自分は○○に納得がいかないんだ
 

こうして過去と向き合うことで、自分の傷が見えてくると思います。

その傷が癒されたとき、初めて加害行為を認め、受け入れることが出来るのではないでしょうか。


加害者は、被害から回復する責任があると私は考えています。

被害から回復した上で加害と向き合い、自分なりの方法で罪を償えば良いと思います。


私は被害を受けたことを認めました。

まだその傷は癒えません。と言うか完全に癒えることは無いのかも知れません。

受刑前は全く気付かなかった心の傷を認め、今は定期的に癒すよう心がけています。

癒し方は人それぞれだと思いますが、私の場合はカウンセリングを受けたり心療内科に行き自分の話しをする、ヨガや鍼灸をやる、楽しい時間を過ごす、こういったことでケアをするようにしています。

 

私はホルモンバランスが崩れたり睡眠不足のときに被害者意識が顔を出すことがありますが、もしそういうときに誰かに怒りをぶつけたり傷付けたりしてしまったら、素直に謝れば良いと思います。

私の被害者意識から出た発言でした、すみません。と素直に言えることも、自分の被害を受け入れられている一つの証だと思います。

 

対談動画を撮影しています!

 


YouTubeへのupは今月中を目指します!記念すべき第1回目はもちろん!進藤さんです。

 

受刑者BAR、大盛況でした!


前回に引き続き大好評でした。また開催しますのでこうご期待!
 

性とこころ関連問題学会

 

6月29日(土)9:00~18:00、池袋のメトロポリタンで開催されます。
当日参加もできますのでご興味のある方はぜひご参加ください。

 

アゲハ蝶が羽化しました!