新選組隊士⁉新見錦について考えてみる | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

最近、毎朝起きるのが辛い…そして何時間も寝てるのに、まだ眠い…今朝なんか、もう休んでしまおうかな⁉なんて思ってしまったほど(^_^;)
っということで、わりと久々の更新となりますが…相変わらず新選組ネタでw
先日、購入したあさくらゆうさん著「新選組を探る」でピックアップされていた、新選組隊士の中でもかなり謎めいている新見錦について、書きます。
芹沢鴨と同郷で、壬生浪士組結成当初は局長(副長とも…)だったとも言われている新見であるが、その存在感はかなり薄い。
史資料に、その名が出てくるのは、結成当初と、亡くなる場面ぐらいで、その間は一切出てこない。壬生浪士組と同居しており、毎日のように隊士を見ていたはずの八木家の子息だった為三郎も「まるきり覚えていない」と後年語っている。
以上のことから、新見はかなり早い段階で、壬生浪士組を脱退していた可能性がある。つまり八木家の滞在期間が、ごくわずかだったか、又は全く無かったから、まるきり覚えていないのだろう…。また、早々に壬生浪士組を離脱又は籍は在ったとしても別行動を取り続けていたからこそ、新選組史に、僅かしか登場しないのだろう。
では、新見の離脱後の消息はつかめるのだろうか…⁉。「新選組を探る」によると、新見の本名は、新家粂太郎といい、勤王の志高い水戸藩士だったと言う。そして、離脱後、長州に渡ったとも、長州の間者として活動していたとも…真相はわからないが、どちらかと言えば、勤王の志士として活動をしていたと考えられる。
どんな活動をしていたのかは、わからないが、新見の死については、大正まで生き抜いた新選組幹部・永倉新八の著書に書かれている。同時代に近い時期に作られたと考えらえる「浪士文久報国記事」によると、同郷である水戸藩士・吉成恒次郎宅で乱暴をはたらき、梅津という水戸浪士の介錯で切腹したらしい。
定説だと、近藤らにより切腹させられたことになっているが、この説も永倉本人が晩年に語ったことである。
どちらかと言えば、同時代に近い前者の説が真実に近いと言えそうだが、後者の説が定着しているのが、現状である。
新見の切腹と言えば、芹沢鴨暗殺への序曲として描かれるのが常だが、実際には、その切腹した人物は新見ではなく、田中伊織という隊士の可能性が高い。
田中の死が、永倉が晩年に語った新見の死の状況と酷似していること、芹沢暗殺の3日前に亡くなっていることから、新見と田中は同一人物だとされる向きもあるが、新家粂太郎説と同時代に近い頃に作られた「浪士文久報国記事」の死因が本当ならば、田中は別人ということになる。
だが、田中の墓はあるが、新見の墓はない…しかし、勤王の志士達が眠る霊山護国神社に祭神として、その名が加えられており、また長州の書簡からも、その名が出てくることから、新見は、壬生浪士組を早々に離脱し、長州と行動を共にしていた可能性が高い。
まだまだ謎は多過ぎるが、新見は田中伊織とは別人で、定説も否定せざるを得なそうだ…。