幕末史跡巡り2013年04月 -三鷹- | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

少し間が空いてしまいましたが…新選組史跡巡り東京区外編の続きです。今回は三鷹です。
三鷹には、近藤勇の墓がある龍源寺があります。前回紹介した近藤勇生家跡から、人見街道を少し東へ歩くとあります。生家跡からかなり近いんだけど、生家跡は調布市で、龍源寺は三鷹市なんですねw
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龍源寺の門。ほとんど人気が無かったけど、途中から団体客が来て、若干の賑わいがありました。
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門前の敷地はこのような感じで、近藤勇の像などがあります。

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近藤勇像をUPでw。これぞ近藤勇といった顔ですね(本物を写真でしかみたことはありませんが…)。近藤の像は様々な所にありますが、この像に関しては、京都壬生寺にある像と似てますね。

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そして、寺の裏側に行くと近藤勇の墓があります…と言うか近藤家の墓所があります。

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近藤家墓所の全体像はこんな感じです。奥に見える右から2つ目の墓が勇の墓です。ちなみに中央にある墓は、勇の娘瓊子(たまこ)と結婚し、天然理心流5代目を継いだ勇五郎の墓です。

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勇の墓をUP。だいぶ劣化していて、「近藤勇」の文字が判読しづらくなってました。
板橋での勇の斬首を目撃した勇五郎は、その後首のない勇の胴体を刑場から掘り起こし、この龍源寺まで運んで埋葬したという説があるので、この説が真実であれば、ここに勇の胴体が眠っていることになりますが…国賊の筆頭とも言える勇の当時の状況を考えると、胴体奪取はかなりの快挙じゃないかと思う。刑場は四六時中、新政府軍が警備していたらしいので、どんな手を使って勇五郎は胴体奪取したのだろう…!?。
この説は、勇五郎自らが語ったことらしいが、その他の関係者は皆、勇の胴体は現在の寿徳寺境外墓地にあると語っている。だからこそ、永倉新八はそこに新選組供養塔を建立するに至ったのだが…。証言者の割合でいけば、板橋に胴体が眠っている確率の方が高いのは、一目瞭然だが…真実はどっちなのだろうか…!?。首といい、胴体といい、近藤勇はどこで安らかに眠っているのか…!?

以蔵のblog-野川
最後に、龍源寺近くを流れる野川を一望。なんか新選組!で出てきた多摩の風景って感じで良いでしょ?w

っということで、東京区外(府中、調布、三鷹)の新選組史跡巡りは、今回で終わりです。
今年は、新選組結成150年という記念すべき年だから、まだまだ史跡巡りは続けるつもりですよw