八重の桜 描かれなかった若き会津藩士の悲劇 | 以蔵のblog

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大河ドラマ「新選組!」放送以来から現在まで新選組…幕末にはまってます。さらに最近は宇宙に夢中…

今年度も明日で終わり、何とか一本の業務は、完了できる見込みとなりましたw
さて、本日は八重の桜というか、幕末ネタ…いつもと変わらないカテゴリーだけどw
池田屋事件と禁門の変の間の中休み的な回だった八重の桜第11回放送分の感想は既に書いたけど、今更ながら…その間には、会津に関わる歴史的事件が起こっていたことを忘れていた(^_^;)
この事件には新選組も関わっているので、何が何でも伝えておかなければならない。
池田屋事件のあと残党の捕縛を命じられた新選組は、東山の明保野亭に長州系浪士が潜伏しているとの情報を得て、現場へ急行。
武田寛柳斎率いる新選組15名と、会津藩士数名が応援で同行し、捕縛に向かった。その現場で会津藩士の柴司が、そこにいた浪士らしき人物を静止しようとしたところ、相手が逃げ出したため、取り押さえようと、1人の浪士を槍で突き負傷させた。だが、その人物は、不逞浪士ではなく、土佐藩士の麻田時太郎なる人物だった。
軽傷であり、その時は特に大きな問題に発展することはなかったが、麻田が士道不覚悟により、藩の命で切腹させられたことから、事態は急変。土佐の同志らは、激昂し、会津と土佐の関係に亀裂が生じかねない事態となった。結果、謝罪の意を込め、柴司は切腹し、両者の関係悪化は回避された。まだ21歳の若さだった。
切腹を命じたのは、藩主松平容保だったであろうが、両藩の関係悪化回避策とは言え、断腸の思いだったことは間違いない。
葬儀は手厚く行われ、その死を惜しむ声は大きかったらしい。葬儀には、土方歳三も出席し、声をあげて涙したと伝わる。
この悲劇は、残念ながら今回のドラマでは、スルーされたけど、池田屋事件と禁門の変の間には、そんな悲しい出来事が起こっていたのでした。