8月1日  いろいろな変化がはじまりました。オリンピックにも。 | いざら手記

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アクセサリー作家勇良啓介の日々の想いを素直につづったものです。

8月1日  いろいろな変化がはじまりました。オリンピックにも。

 

 

そもそもオリンピックは何のために開催されるのでしょう?

今ちまたを騒がせているのは、パリ・オリンピックですね。

 

今回ほどいろいろ問題定義をされたオリンピックはありませんでした。

 

大雨にはじまった開会式。厳粛さよりも、アーティスティックなショーの様相がありました。

 

 

いつ終わるのかというほど、長く続く展開に、規模の大きさと、フランスならではのセンスの良さを感じました。

 

しかし、同時に、続く大雨のせいか、展開に不可解さと、不気味さも感じました。

 

我々テレビ視聴者は大体の展開がわかりましたが、現地会場で大雨の中にいた方々は厳格な規制の中、場所を移動することができません。

 

どのようにその今回の開会式の流れを知ることができるのでしょう?大雨の中スマホや、テレビをそこでみることもかなわないのに・・・

 

 

 

人によっては史上最大の祭典という者から、悪魔のような、今の世に対する痛烈な批判が呪いのように漂っていると言う者までいました。

 

今の世の中が実際に、光と闇との最終決戦で、このオリンピックを運営しているグローバリスト(闇側)の、最後のあがきが、陰にあるような気がしました。また、機会があれば、闇側がいつでも攻勢に転じるという勢いも見えました。

 

今の世は疫病と飢餓に苦しみ、相変わらずの闇の支配だということを暗示する開会式でした。

 

 

そのせいでしょうか?

 

まだ終わっていませんが、当たり前が当り前でない波乱の幕開けでした。政治がからみ、人種的脅迫事件や、各国間の権力バランスの強要による、審判の不可解判定がどのスポーツにも相次ぎました。

 

また、選手側もスポーツマンシップにのっとっていない選手が多くなっていました。

 

負けて泣きじゃくり、小学生のような態度を出す人から、合理的な数字を重視し、無駄なことはやらないと言う根性や努力の言葉を忘れた選手もたくさんいました。

 

また、これは選手だけのせいではありません。彼らを日頃コマーシャルに起用している企業が彼等をスポーツ以外のところで甘やかし、別の快楽を与えた結果、いつもの力が出ない選手も数多く見荒れました。つまり、快楽をスポーツに求めているような・・・スポーツはかっこいいからやるものでしょうか?

 

それは努力する姿がかっこいいのです。おごり高ぶりを持つ者が勝つことができるはずはないのです。日本の女子バスケットや女子バレー・・・店者扱いしたスポンサーが彼女たちを堕落させたのです。

 

 

 

確かにどんな立場の人も平等で、努力やその評価による称賛を浴びる権利がありますが、堕落するまで、遊んだあげく、自分の仕事(スポーツ)もうまくいくと言う考えはどうかと思います。

 

私は普段テレビでおなじみの有名な選手ほど、この魔の力による快楽の誘惑に負けたような気がします。

 

オリンピックに出るための努力はなみたいていではなかったでしょうが、いったん出場資格を取った後は練習をおこたったのでしょう。テレビなどにでて、多額のお金をいただき、遊んだのでは?

 

また、審判団の企業との癒着や、快楽思考が全てにわたって、正確さをかいたような気がします。スポーツの中では審判はかみでなくてはいけません。それが金による権力に屈服する悪魔が混じっているのが現状です。

 

まだ終わっていませんが、結果から言うと、グダグダ感がこれからも呪いとして、漂っていくような気がします。

 

また、なぜか、そのグローバリスト(闇側資本家)による突然のオリンピックへの出資を停止したりと・・・本当に最期まで続くのでしょうか?

 

 

このオリンピックは人類の祭典ではなく、善良な人類の終わりを暗示させるためにこのフランスで開催されているような気がします。

 

また、フランスもこのオリンピックを開催しているような余裕がよくあると思います。裏側でいろいろ政治的宗教的な問題がおこっているようですが、必死にその報道をおさえています。

 

結局今回のオリンピックも裏でも表でも国家間の意向が見えて、全てが選手の環境にとてもマイナスのような気がしてなりません。

 

 

また特に免疫力をなくしている国は?と言えば、それは、日本ではないのでしょうか?他の国は去年から打ってはいません。にほんじんだけが未だに打っています。

 

 

スポーツをしている内に突然亡くなる方が多いのも、この枠珍接種が原因です。日本人はオリンピックでも特にきをつけなくては・・・

 

 

 

政治家や、グローバリストが楽しむための見世物的な祭典でしかないのでしょうか?

 

本来のスポーツの技量の域と優れた精神が今時のオリンピックには無いと思いました。はっきり一つではないのですが、スポンサー企業が彼らの根性をお金と名声でグダグダにしたと思います。

 

自分たちの私利私欲のために、スポーツ精神を汚したのグローバリストです。今回のオリンピックではっきりわかりました。

 

私は開会式最後に宣言の言葉を言うフランス大統領の、恐怖に満ちたこわばった青白い表情が、いまだに記憶に残ります。なにかにとらわれているような、其れこそ、悪魔に監視されているような・・・

 

このような内容が4年に一度行われる最大のスポーツの祭典と言う格付けは、もう必要ではないと思います。

 

あえて、選手を含むスポーツ業界のていたらくを見せる祭典に今回はなっているようです。このままさらにグダグダ感がつもり、閉会式の頃には・・・このまま済むとはとてもおもえないのです。何しろ、やったことは返ってきますから・・・

 

問題定義の多いオリンピックとなりそうです。このままではオリンピックの意味も問われることでしょう。違いますか?

 

以上です。

 

また、真面目な内容になりました。ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

お問合わせ ・ いざらアート立川 09098362361

 

 

 

店頭にはるポスターです。今月は金田さんも私も誕生月です。地球の行く末にもかかわる重大なお話をします。後悔しないためにも是非おいでください。

 

 

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