このブログのテーマを見てもらえば解るとおり、俺の記事には『頭』で考えた日記と『心』で考えた日記の二通りがあります
今回は『心』で考えた、俺が心と呼んでるモノで考えた日記です
こないだ、夢を見た
中学生の頃のガキだった頃の夢
ガキなりにバカだったころの夢
バカなりに真剣だった頃の夢
真剣だったけど、やっぱりガキだった頃の夢
俺の学校では当時腕相撲が流行っていた
別に勝っても賞金が出るわけじゃないし、負けても罰ゲームがあるわけでもないが、とにかく腕相撲ばっかりやってた
そのために学校に行ってたといっても大して語弊は無い
俺は大して強いワケじゃなかったが弱くもなかった
男なんて単純なモノで、強い人間に勝ちたいという思いは皆にあった
そして俺の中で「この人に勝ちたい」という思いの頂点に居たのは、担任の高柴先生
高柴さんは学生時代からテニスをやっていて当時もテニス部の顧問を務めていて、スラッとはしているが腕なんか太くて当時の俺なんかあの腕の太さに憧れたものだった
何度チャレンジしても勝てず「まだまだお前等には負けられないよ」なんて言ってたっけ
俺はこの先生が人間的に好きだった
「導いてあげよう」とか「教師として」とか「教師のあるべき姿」とかじゃなく、クラスで唯一のアウトロー気取りの俺を許容してくれるような懐の深さとでも言えばいいか「こういう人間もいる」とでも言うような『大人』を見せてくれた
そして、勝てないまま迎えた卒業式
勿論最後の勝負を挑む俺
その腕を組み合わせるシーンから夢が始まり、よく映画やドラマで使われるようにそのシーンからフィルムが逆回転し、中学時代の回想が巡る
夢を見ている俺はこれが夢であることを自覚しながら、展開がまるで出来の悪いありきたりな映画を観ているような気分になり、影響されやすい自分の脳みそを苦々しく思ったが、自分の過去を客観的に見ているだけに複雑な気分だったのを覚えている
とにかく、最後の腕相撲
勝ったのは俺だった
「いやぁ最後の最後にやられたなぁ」なんて言いながら、頭を掻く先生が軽く笑う
でも、多分それは嘘
最後に錦を飾らせたかったのか、それが見送る側の優しさだったのか、当時よりかは物事の分別や客観性が成長した俺ならあの時の先生の気持ちは少しは解る気がする
先生はその年に10年勤めたこの中学を転任することが決まっていた
その学校から見送る最後に担任を務めたクラスの中途半端な不良、先生の眼にはどう写ったんだろうか
強かったは強かったんだが、勝ったことが信じられなくて納得できなくて怪訝な顔してたと思う
でも、先生の顔を見たらまるで自分が勝った様にニコニコしてる
そんな顔見たら腑に落ちないながらも何も言えず……
結果として勝ったことになるのか、ならないのかは今でも解らない
そして夢から覚めて一番に思いついた
なぁ、高柴先生
先生は多分負けちゃいけなかったんだよ
もし、先生に会う機会がこの先一度でもあったなら、そう言いたい