皆様、こんにちは
2016年7月から8月に書いたものでザザッと書いていて、かなり途中端折っておりますが
宜しければお付き合い下さいませ
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(旧ブログから加筆修正して再投稿させて頂きました。)
人生ってこんな事が起こるんだって、本当にびっくりした昨年の夏でした
まぁ普通に検査⇨診断⇨告知⇨熟慮⇨治療という感じで進みました。
悪性リンパ腫というのは血液の中のリンパ球が突然に癌化してしまう病気で、血液だから色んな体中に巡りながら癌の塊を作ってしまうんだそうです。
私の場合は胸の縦隔に腫瘍が出来てたもんで、言葉に表わせない程の痛みに襲われてました。
まぁ癌というものは初めは痛みは無いらしいのですけど、かなりのスピードと大きさになってくると痛みが始まるみたいですね
告知によると私の場合はステージⅡ期のAだかBだかと言われた気がします。正直忘れました。笑
てか、忘れたい。笑
そして治療に入る訳ですが、悪性リンパ腫は今は抗癌剤治療が一般的だそうで、一昔前は放射線治療が先だったらしいです。
最初、抗癌剤を4回迄と医師は言ってました。
悪性リンパ腫ホジキン病の場合、ABVD療法といって、4種類の抗癌剤を投与します。
勿論、脱毛も避けれません。
昔は入院が普通でしたが、今は最初の一回目のみの入院で、それからは通院での治療です。
お医者様は簡単に言いますが、脱毛も他の身体への副作用ってもんは、これ半端じゃないです
地獄の苦しみでした。
母の掛かりつけの個人病院の先生に聞いた話では血液癌の抗癌剤は副作用がとても辛いって聞きましたが、本当だと思います。
私もネットでありとあらゆる方のブログやら何やらで拝見しました所、個人差も有るみたいですけど、楽だったと仰る方は他の癌治療の方はチラホラ居らっしゃいましたが、悪性リンパ腫での治療が楽だったと書いてる方は私が見た方には居らっしゃらなかったです
治療中にナースに聞いた時も本当に極たまに楽みたいに言う方が居りますけど、滅多に居ないと言ってましたね。
まぁ、本当に辛かったです。
家族が居なければ、正直私としてはやらなかったと思います。
てか、医療関係者には申し訳ないですが私は自己治癒力を信じていた方でお医者様は患者を全面的に救うのでは無く、ほんの少し医学的な助けをするもんだって思っています。
なので独り身なら、まずは代替療法とかを必死で探すんですが、旦那の母親も西洋医学で乳癌を克服してましたから、仕方無くというのも何ですが抗癌剤を受ける事になっていきました。
しかし娘は夏休み中、直ぐにでも出来ますよと言うお医者様を説き伏せて、お盆の時期に旅行をして、その後に一回目を始める事にさせて頂きました。
辛かったのは最初の抗癌剤を受けた夕方に心配で娘に電話した時に(この時点では副作用はまだきていません。)電話の向こうで「ママ、ママが居ないと駄目なの…」とか細い声で泣かれた事です。
彼女にしてみれば人生において、初めて私の大病と入院を目の当たりにし、母親を失うかもしれない恐怖と寂しさを体験していたんだと思います。
この話は書いていても今でも涙が出てきてしまいます
そんな事を電話口の向こうで言われても、帰れる訳は無く途方にくれたのを覚えています。
その夜から本格的な副作用が始まりました。
副作用は人により、千差万別で此処で私がそれを詳細に語る事は辞めておきますね。
ただ私の場合はやる度に酷くなっていきました。
入院4日目で退院したものの、本当に辛くて身体の置き場が有りませんでした。
そして、自宅で寝ながら必死でネットにて自分の病気を何とか治す情報を見つけ出そうとしていました。
この頃は半ばノイローゼ気味で、鬼気迫る状態だったなと思いますね。苦笑
でも癌に罹患された方は通る道かなとも思います。
しかしその頃の姿を近くで見ていた娘は本当に私と違う地獄に居たと感じています。
此処まで書いておきながら何ですが、どうも病気にフォーカスしてしまうのかリンパの辺りがムズムズしてきましてね
昨年から有った自分の出来事を語るには通らないとならないと分かっていながらも、やっぱり嫌な話しなもんで『筆』が進みませんでした。(本当に書いてる訳じゃないのに…)
さぁ、あと少しだけ頑張ります。苦笑
ザザッといきますね。笑
私はどうしてもこの治療を続けたら、病気が治る前に自分が廃人になるか、もしくは死ぬと本気で思いました。
何とかこの治療ではなく、自分を治せないものかと必死で探してみました。
そしてとにかく家族を納得させなければ、この治療をやめる事は出来ない。
先ず、私の母親と姉、娘に自分の気持ちを話してみました。
彼女達の意見は皆殆ど一緒で「あなたなら何とかなるよ。」でした。
無責任に聞こえるかも知れませんが、私は人生の中で三度(この後4度目の貰い事故が有りました💦)の交通事故を無傷でやり過ごし、小さな頃から不思議と絶体絶命な事を免れてきたので、そう思ったのかも知れません。
それからが本命…いや主人をしっかりと説得しなければならない……
4回目の抗癌剤治療の日が近づいて来ました。
もう話さなければ後が無い日になってきていました。
そして、とうとう話をすると決めて
「パパちょっと話が有るんだけど…」
私はそう切り出しました。
彼も何故か分かっていた様な態度だったと今は思い出しています。
そして私はこの治療を続けていたら、癌が治っても自分が死んでしまうか、治っても廃人になってしまうと感じていると真剣に話しました。
「どんな事をしても必ず治すから!お願いします!私を信じて!」
彼にとっても相当な勇気のいる決断だったと思います。
彼は私の決断を許し、一緒に支え生きてくれると言ってくれました。
つい最近二人だけでゆっくりと話をする機会に彼にその時の気持ちを聞いてみたところ、
「あの時どんな気持ちだったの?」
「最初はチッ!と思ったけど、ママらしいなぁと思ったよ。」
彼は笑いながらそう言ってくれました。
それからは本当に違う意味で大変でしたが、それは自分の為の戦いです。
勝たなければなりません。
とにかく、必死でありとあらゆる事をしました。
(その辺りは別の機会に書くとします。)
そして、今年(2016年)の6月に会社の健康診断を受けました。
何と、全てにおいて"A判定"
両縦隔に有った腫瘍もレントゲンには映っておりませんでした!
それを夢見て、頑張りました!
勿論、色々なご意見が有ると思います。
血液癌は完治は無いとか、寛解だとか
諸々有ると思います。
ただ私が思うのは、一日一日を精一杯生き抜く事。
そして自分の身体を他人任せにしないという事。
これからは自分の為に助けて下さった方々に恩返ししていこうと思っています。
家族、友人、全ての医療、代替療法の関係者の皆様に感謝申し上げます。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。