いいとか悪いではなく
そもそも
わたしたちがいまここにいるのって
ちゃんと
望んだからあるんだということ。
こちらの続き。
望んでいいのかな?
願っていいのかな?
正解を
探すのではなくて
やっぱり
どこまでいっても
自分がどうしたいかです。
望んでいいんですか?
願っていいんですか?
たまに
聞かれる。
なんでダメなんですか?
って聞くと
たいてい
神様に願ちゃいけないと
聞いたから
先祖には
感謝しなさいと
言われたから。。。と。
で、
それを正解だと採用して
決めたのは誰なんだろうね。
自分なんです。
わたしは
どれも正解だとおもってます。
そのうえで
わたしはわたしが
幸せと思える見方しかしていません。
かりに
何言ってるの?
って言われたところで
あなたはあなたの信じたい世界を
わたしはわたしの信じたい世界を
お互いの幸せが
違うだけの話で
正しさを
押し付けるのは
違うんじゃないのかな?
神様はこう敬いなさい
ご先祖さんにはこうするべき
それ
価値観の押し付け。
自分が何を信じたいのか
自分が何を信じているのか
無意識を
ちゃんと意識して
自分が何を信じたいのか
自分がどうしたいのかを
一つ一つ
選んでいこう。
誰かに言われたから
ではなくて
自分がどの世界を見たいのかが
とっても大切だということ。
どの価値観も
信じたいものを信じているだけ。
これが正解
それは間違ってるは
争いを生むんじゃないのかな?
まぁ〜
争ってもいいけど。
わたしはこの価値観が
しっくりくる。
あなたはその価値観なんだね。
お互いを
受け入れてあげたら
どちらが正しいとか
そんなくだらない争いは産まれない。
神様がいて
わたしたちが
自分を生きていないからといって
本当に
バチなんてあてるかな?
たまにこうなったのはバチがあたったからですか?って質問がくるけど。
わたしは
よくやってるね
それでもよく生きてくれてるね。
どんなときも
愛の眼差しで
包み込んでると思うな。
わたしの世界では
神様がそう見えるから。
続きます。