自分を我慢
させたのって
いつごろからだろう。
相手にあわせようと
自分を殺してきたのって
いったい
いつからだったかな。
わたし小さい頃から
いろいろ感じる子でね。
親が喜ぶように
親に怒られないように
いい子でいよう
いい子のふりしてた。
困らせないように
自分を押し殺して
笑ってもらいたくて
一杯頑張ってきた。
親を嫌いなんて
気持ちがでてきたら
そんなことを感じてごめんなさい
そう自分をせめてきた。
そうすることが
人を大切にするってことだと
思っていたし
信じていたから。
自分を出すよりも
相手にあわせること
自分を生きるより
相手に従うこと
自分の意見より
相手の意見を大切にする。
それがわたしにとっての
人を大切にするってことだと
なんの疑いもなく
信じて生きてきた。
でもね
最近よく思うの。
相手にあわせることでも
相手に従うことでも
相手に服従することでもなく
人を大切にするこということは
自分が
自分をいきる
って
ことなんだということ。
相手に
合わせるわけでもないし
相手に従うことでもなく
自分に従えやでもなくて
わたしはこれが
大好きです。
わたしはこれが
大切です。
わたしはこんな
人間なんです。
そう自分をさらけ
出していくことなんだと。
これ勇気がいること❗
そのさらけだした
わたしと
さらけだした
あなたと
共に生きていけることを
わたしはそれを『奇跡』と
呼ぶんじゃないかとおもう。
だって
ダメなわたしも
最低なわたしも
わかってて
受け入れてくれて
それでもなお
愛してくれてるって
そんなふうに
思いあえる相手がいるって
『奇跡』いがい
なにものもないよね。
これパートナーじゃなくても
人間関係すべてに言えることじゃないかな。
もちろん人間だもん
従ってよって思うときもあるし
コントロールしようと
するときもある。
やっちゃったもんは
しかたがないし
やってしまったんなら
いさぎよく
『ごめんなさい』って
言ってあげれる
自分になれるといいね。
ちゃんと
『ごめんなさい』を
言うのは
自分の幸せのためにです❗
あやまるのって
自分のためです。
誰かのためじゃないです❗
自分の尊厳をたもつためても
自分を守るためでもなく
自分が自分を
幸せに生きるためにです。
自分が自分に
ごめんなさい。
そして
自分のための
目の前の人に
ごめんなさいです。
わたしの親は
謝ってくれたことがなかった。
まぁ~
両親も
自分の親には
謝るってことを
されてこなかっただけで
だれが悪いとか
そんな話ではなくてね。
謝るって
非を認めるようで
自分の尊厳が
奪われるようで
わたしは
とっても苦手でした。
いまはね
自分のために
勇気をだして
謝ってます。
パートナーは
もちろんだけど
こどもたちにも
おんなじで
大人だからとか
関係なく
『ごめんなさい』を
言い合える関係がわたしは好き。
ごめんなさいが言えたら
わたしの内側が癒えてくる。
『ごめんなさい』
がいいあえたら
人間関係って
あらそうこともないのにな。
『ごめんなさい』って
魔法の言葉なんだと思うな。
ありがとうは
勝手にあふれでてくるけど
ごめんなさいって
やっぱり勇気がいる。
だからこそ
自分のために
『ごめんなさい』って
言えるといいね。