Shioヒーラーズの遠隔ヒーリングを受けた感想の続きものです。
今日は自分の中での気づきみたいな話です。
先週ぐらいから急に読み出した小説をヒーリングを受けた翌日に読み終えました。
村上春樹さんの「騎士団長殺し」です。2017年に発表された長編小説で、文庫化されてすぐに全4巻を購入しました。
ところがどうしても読み進めることができませんでした。
1巻の終わりまでは進めるのですが、日常にかまけて放っておいて内容が曖昧になってしまい、また最初から読み直す
ということを繰り返してました。
なぜかもうボロボロの一巻 何度も読んだからというより、読もうと思っていろんな鞄に入れられてたから
春樹ファンとしては、いつか読了したい、という危機感があり最終的には常にこの一巻を寝室の目につく場所に置いていました。もはや家具の一部だったyo!
しばらく本を読むということもしてなかったので、長編に付き合うという体力も衰えていたのかもしれません。
時間ができても、どうしても集中してその世界に入っていけませんでした。
それが先週から何かのスイッチが再び入ったように読むことができるようになったんですよ〜
まるで何かの合図のように
いきなり信号が青に変わったように
しばらくの間、読めるようになったことに単純に喜んですらいました。
「騎士団長殺し」は春樹ワールド全開で、物語は徐々に奇妙な方向へと展開していきます。生霊が出てきたり、良くも悪くもいろんな存在が真実身を帯びて迫ってきます。
無事に2巻目に入った頃はどっぷり浸っていたので、私の頭の中は、日常生活と本の中のストーリーを並行して2つの世界を行ったり来たりしていました。
そして、そんな最中に私が受けた遠隔ヒーリングは、その2つの世界に自然に溶け込んでいました。
読みながら、今のタイミングで読むことが個人的には最善であったと何度も感じました。
この本は映画化は難しいでしょうし、しないで欲しいと思いました。
「騎士団長殺し」の絵が重要で、それがどういう絵であるか何度も描写されます。途中から「私も実際に見たことがある」感覚になります。小説の冒頭でその絵が写真で入ってたような錯覚すらあります。(そんなことはもちろんありません)
本という媒体で読むということは、その物語が持つエネルギーを読み手が自分の中で変換して、自分の想像力を働かせる作業が必要ですよね。
だからこそ面白いし、それぞれの体験として深い部分に作用してくるのだと思います。
「騎士団長殺し」の絵も読み手の数だけオリジナルが生まれて、それぞれの記憶に残ります。
強引ですが、遠隔ヒーリングも似ている部分があると思いました
受け取る側も、本を読むようにある程度能動的に受け取ると、より自分のものにできると思います。
感じたイメージやその時にふと思ったこと、目にしたことを材料に、普段より少し時間をとって立ち止まると、何かしら有意義なものが得られると思います。
そしてそれが優れた真実のエネルギー、愛に支えられたエネルギーの交流だった場合、なんらかの恩寵が送る方受け取る方の双方に与えられるのだと思います。
その人にとって必要な形で
癒しかもしれない
救いかもしれない
鎮魂かもしれない
希望かもしれない
つっかえていた何かが外れて動き出すかもしれない
とても質の良い眠りかもしれない
最後のパターンよくあります