わたし、先日まで長野県松本市である講座を受けていたわけなんですが。
その講座の大元になっている考え方が「アドラー心理学」なのね。
(間違ってたらごめん)
この講座をわたしが受けて良かったなと思うことは、
「自分の課題」 と 「相手の課題」 を分けて考えられるようになったこと。
前からその概念は知ってたつもりだったけど・・・
「相手の課題」を自分の課題の一部として捉えて、しんどくなることが多かった。
たとえば。
わたしが彼氏に「あなたにこうされたのが、悲しかった」と伝えたとする。
そして、彼は「なんだよ、俺が悪いっていうのか?」と怒ったとする。
(例えだよ。フィクションです)
前までのわたしなら、
「あああああ彼を怒らせちゃった!!ネガティブなわたしのせいで!!ああああもううううわたしってばバカバカ!」
となってたと思う。
けど今は、
「彼氏にされたことで悲しくなったのはわたしの課題」
「その気持ちをわかちあっただけなのに、自分が責められていると感じて怒りの感情が出たのは彼の課題」
と、
【課題の分離】ができるようになった。
便利なんだよコレが←
あ、前提として
この場合の「わたしが悲しくなった」のも、「彼のせい」ではありません。
わたしの内側に、
「悲しい」が元々あったからそれが「彼にされたこと」をきっかけに出てきただけ。
↑これがわかってると、だいぶ楽です。
だって自分のこと
「ハゲ」だと思ってない人が、
「このハゲ!!」
って言われても・・・
「???ハゲてないしなー」
って気にならないでしょ?
「ハゲ!?!?!?」
(友情出演:岡田氏)
写真お借りしました。だめだったら言ってください、土下座して即削除します。。。
・・・そういうこと。←どういうこと?w
「今までの人生経験の中で得た、内側に元々持ってるもの」が刺激されて、表に出るだけ。
傷ついたり、悲しくなったり、怒ったりするのも。すべて。
だから、「悲しくなった」のはわたしの課題。
彼氏を責めるのではなくて、
「これはわたしの課題だってわかってるんだけど、あなたにこうされたことで何だか大事にされてないなっていう風に感じて、悲しくなったんだよね」
と、ただわかちあう。
っていう風に、なるべくわたしはしています。
(出来ないときもあるよ)
けどそれでもし
「俺が悪いのかよ?!」と彼がキレたとしても、
「あ。怒ってる。責めたわけじゃないのに。これは彼の課題だな、わたしのものじゃない」
と、線を引くことが出来る。
そうすると、感情があまり揺れないです。
「じゃあ彼のものは彼に任せて、わたしはわたしの課題に取り組もうっと。」
ってなる。
あー悲しかったー。悲しかったよねー。よしよしー。
って感情を感じきる。自分で自分をヨシヨシする。
物理的に自分を自分の腕でハグする。
この辺は岡田哲也さんの「感情を感じきる」をやってる。
そして彼の課題を彼のものとして任せられるのは、
彼を信頼しているからです。
ここで
「彼の課題なのに、わたしが踏み込むこと」は
相手が課題を自力で解決する能力がない、と信頼していないことを示すことになる。
彼の自己肯定感も下がります。
・・・えらそうに言ってるけどわたしはこれがものすごく苦手。
彼のほうがこれ得意でね、よく
「それはまゆの課題だよね?」
って言われて、ぐぬぬぬぬ・・・ってなってる。笑
そしてわたしは、
相手の課題だとわかっていても、干渉したくなります。
「大丈夫だよ~」って伝えたり、「こうしてみたら?」って言いたくなったり・・・
んあああああああ!!!!!だめぇ!!これは相手のもの!奪っちゃだめぇ!!
といつも葛藤する。
・・・これはわたしの課題
過干渉。あるある~~。子どもにやってる人、、、いませんか?(ぼそっ
そういう人は、母親が過干渉だったか、逆にすごく無関心だったか・・・かも?
(うちは母親が過干渉)
わたしがこうしたことで、相手を怒らせちゃった!
とか、
相手を傷つけちゃうわたしは思いやりが足りないんだ・・・
とか思って自己肯定感低めの人、
「課題の分離」
を意識してみるとまた何か視点が変わるかも
あ、でも
「相手のせいにする」とは全く違うので、そこはご注意を~♪