今日ある人に、「受けた恩をどう返そうと思ってるのか。それが見えない」と言われた。
それを聞いてわたしは改めて、
「あぁ、わたしは受けた恩をその人本人に返そうとは全然思ってないんだなぁ」と思った。
そしてわたし自身も、わたしが誰かに優しくしたことや与えたことを、わたし自身に返してほしいとはあまり思ってないなぁ。とも。
もちろん助けてもらったことや、優しくしてもらったことはずっと心に残っていて、「あの人に何かあって助けを求められたら、すぐさま出来る事をなんでもやろう」と思ってる。
めちゃくちゃ感謝している。
離婚のときに、いろんな人から助けてもらった。
色々貰った。
それらを今でも使いながら、「これはあの人から貰ったんだよなぁ」とか、「あの時これいる?って声かけてくれて嬉しかったなぁ」とか思いを馳せる。
そしてその人たちに何か返せているか?と聞かれると、全く返せてないと思う。
むしろ追加でまた何か貰ったりしてるくらい。笑
でも自分の立場を棚に上げて、とお叱りを受けるかもしれないがあえて自分の気持ちを言葉にすると、その方たちは、その行為を「やりたいからやった」んだと思っている。
そして、わたしと娘が元気に笑って暮らしていることで、もうそれに対して「返せている」とも思ってる。
そしてわたしができる恩返しは、恩をご本人に返すのではなく、それを周りに「ペイフォワード」していくことだと思っている。
まわしていく。循環させる。
だからわたしは、「もっとわたしに甘えていいよ」と思う。
返せなんて言わないから。
わたしが沢山の人から受け取ってきたものだから。
そしてまた、あなたが周りに渡していけばいい。
「受けた恩を返してくれ」
と思う人は、わたしに優しくしてくれなくていいです。
わたしに何かを与えてくれなくていいです。
わたしからお願いして、甘えさせてもらったこと、沢山ある。
頼らせてもらったこと、助けてもらったこと、いっぱいある。
本当に感謝してる。
でも多分、目に見える形であなたには、それを返しません。
(もちろん何かあった時には全力で助けるよ!)
それを不満に思うなら、与えないでください。
人にお願いされて与えることすら、「自分のした選択だ」という自覚を持ってください。
シェルターハウスをもっと稼動させたいな。
ペイフォワードをもっと拡げていきたい。
わたしは色んな人から、愛を沢山貰ってるから。
https://courrier.jp/news/archives/161792/
こういう人本当かっこいい。
そしてこういうわたしを見て、何か心が揺れたのなら、それはあなた自身の課題です。
怒りや憤りが出る場合、多くのパターンは
「羨ましい」です。
わたしは甘えず頑張ってるのに、とか、わたしだって甘えたいわ!とか。
恩返しするためにわたしは努力してるのに。とか。
「べき」に囚われてるのかも。
わたしはそこを手放して、だいぶ生きるの楽になりました。
共感できないなら、距離をとればいいだけで。
否定批判しなくても別にいいんだよねーーーーー。
っていう、深夜のつぶやき。
冒頭の言葉を言った友達のことが嫌いとかじゃないよ、全然。
(こんな投稿しながらめちゃビビッてます。わたしに優しくした人で、「恩返せこのやろう!!」って人がいたらメッセください。即座に土下座します。)
そしてわたしがやりたいことは、やっぱり
「甘え合える世界創り」
だなと思った。
恩を返さなきゃ、と思うことが重石になって、人を頼れないことって超あるあるだと思うから。
もっと気楽に人に甘えて、返せるときにそれを本人なり周りなりに返していけばいいんだよーーーー。
それをまず体現するため、今後も甘えまくります!!
それでお叱りを受けたとしても、それはその人の課題だ!
課題の分離!!
(もちろん感じたことをわかちあってくれるのはとても嬉しい。真摯に聞く。だけどそこにコントロールされない)
と、決意も新たに。
自分のビジョンをどう実現していこうか?考えよーー。