娘に言われて救われた言葉 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

娘が以前、
一緒に実家に帰省した時に、
私と母が話していた父との思い出話を、

「クズ過ぎる」

と言って涙ぐんだ出来事を書いたのだけど。

その時に私と母が語ったエピソードは、
私と母にとってはごくごく普通の、
個人を偲ぶ父の思い出話のつもりでした。

だから、娘から、

「皆んなの語るおじいちゃん(私の父)のエピソードがクズ過ぎる」

と、
帰省を終えて帰る車の中で、
悲しそうにポツリと言われた時に、
私はとても慌ててしまいました。

私と母が娘の前で話していたのは、
父の所業の中でも当たり障りのない、
確かにその当時は大変だったけれど、
今では笑って話せる程度の、
どちらかと言えば、
無難なエピソードばかりのつもりだったため、
それでも娘からしたら、
とても酷い話ばかりだったのだと、
全然気付かず、
改めて自分の感覚が、
その生育歴により、
歪んでいるのだと感じたのですが。

悲しんでいる娘を放っておくことも、
父(娘にとってはおじいちゃん)に対する娘の気持ちを、
歪ませてしまうこともしたくなかったので。

「でも、お母さんも、おじいちゃん(私の父)に、
酷いことをしてしまったんだよ」

と、
私は自分が父にしてしまった酷いことを告白することで、
父だけが悪い訳じゃないということを娘に伝えようと、
自分が父に対して悔いている話を娘に伝えました。

「あなた(娘)が保育園の時にね、
あなたを喜ばすために、
おじいちゃんとおばあちゃんの家で、
クリスマスのお祝いをすることになったの。
今まで1度もクリスマスなんて祝ったことのなかったおじいちゃんが、
あなたを喜ばすためにクリスマスのケーキを買ってきてくれたんだけど、
それはおじいちゃんの勤務先の近くのケーキ屋さんで売っていた、
あんまり何の飾りもないチョコバタークリームケーキで、
お母さんの周りの人は皆んな予約して、
豪華なクリスマスケーキを買っていたから、
おじいちゃんがクリスマスケーキを買ってきた時に、
"えっ、これなの?"って言ってしまったの」

このことは、
本当に私が父に対して、
心から悔いていることでした。

この頃の私は、
母子家庭だからと哀れまれることを、
とても嫌っていました。

だからクリスマスケーキといった、
自分でも用意出来るものは、
両親が揃っている家庭と、
同じかそれ以上のものを買ってあげようと、
見栄をはっていたのです。

だから父が、
勤務先の近くのケーキ屋さんに行って、

孫(私の娘)がチョコが好きだから、
チョコがいっぱいのケーキをくれ」

とお願いして買ってきたと、
得意気に話している気持ちを、
汲んであげることが出来ませんでした。

私がイメージしていたチョコレートケーキは、


こんな風に飾りがいっぱいついた、
生チョコクリームで出来たもので、


父が買ってきた、
こんなバタークリームな感じのものでは、
無かったからです。

また、予約もせずに普通に買えたことが、

「人気のケーキじゃない」

と、
その当時、見栄とプライドでいっぱいだった、
私の心を刺激しました。

そして、私は、
自分からケーキを買ってきたことなど、
人生でおそらく初めてだった父に対して、

「こんなケーキなの?」

と、
喜ぶどころかガッカリしてしまったのです。

私が子供の頃、
父はクリスマスを馬鹿にしていました。

「仏教徒のくせに何がクリスマスだ」

と馬鹿にして笑っていました。

だから私は、
小学生になって自分のお小遣いがもらえるようになると、
皆んなと同じようにクリスマスにケーキが食べたくて、
自分のお小遣いから小さなケーキを買ったりしました。
(家があまり裕福では無かったので、
25日になってケーキが半額で売られていると、
見つけた母が買ってきてくれたりしました)

そんな父が、孫が喜ぶ顔が見たいと、
人生で初めて買ってきたクリスマスケーキでした。

「本当におじいちゃんには悪いことをしてしまった」

そう話す私に、
娘は私の予想と違う反応を示してくれました。

「それは違うんじゃない?
本当ならお母さん達が子供の時に、
買ってきたクリスマスケーキを見て言うことを、
おじいちゃんはお母さん達が子供の頃にしなかったから、
おじいちゃんは子供がどんなケーキを欲しがってるか分からずに、
大人になってから言われただけなんだよ」

娘のこの考え方は、
私の頭の中には無いものでした。

まず、前提として、
父にクリスマスケーキを買ってもらうことなど、
考えたことも無かったからです。

「あぁ、私は子供の頃に言えなかったワガママを、
大人になってようやく父にぶつけられたのだ」

そう思ったら、
心の中がすっと軽くなって、
父に対してずっと申し訳なく思っていた気持ちが、
救われたような気がしました。

そして、そんな父が。

孫がチョコが好きだと知ってくれていたこと、
ケーキを買ってきてやると自分から言ってくれたことに、
改めて感謝する気持ちが湧いてきました。

ありがとう。

おそらく発達障害であっただろう、
他人の心を全く想像出来ない父の、
精いっぱいの心遣い。

この父がいたからこそ、
私はASD(自閉症スペクトラム)でありながら、
人の顔色を伺う(人の気持ちを推察する)人間に、
なったのだと思います。

その性質は、
私が今、社会で生きていく上で、
とても役に立っています。

人生に起こることには、
こんなに悔やんでいることや、
悲しく辛かった出来事にでさえ、
見方を変えれば、
なんらかの意味があるのだと、
娘と話しながら、
改めて感じることが出来たのでした^^