過去の振り返りで感じたこと | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

子供の頃に受けたマルトリートメントが脳を萎縮させることを知り、

自分の発達障害(ASDグレーゾーン)に、
どのような影響を与えているのか知りたくて、
ここ数日間、自分の子供の頃の出来事を振り返っていました。
(マルトリートメントって何?という方はこちらをご覧ください)
 
そうしたら、自分でも忘れていた、
お母さんとの悲しかったエピソードなども思い出して、
そのことが今の自分の行動に影響を与えていることにも気づき、
子供の頃に無意識に刻まれた言葉の重みを、
感じているところです。
 
そして、もう1つ、感じていること。
 
本当に幼かった言葉を理解する前の私は、
 
「発達障害などない普通の子供だったんじゃないか?」
 
ということ。
 
赤ちゃん〜幼かった頃の私は、
とても育てやすかったと言っていたお母さん。
 
3、4歳にして、お母さんの関心の不足を補うために、
お手伝いに励んでいた私。
 
それは、
お母さんの関心が自分にあまり向いていないと感じとって、
それに合わせた行動をとれる子供だったということで。
 
そうなると、ASD(自閉症スペクトラム障害)とは、
ちょっと違うような感じもしていました。
(でも私はHSPの度合いも高いようなので、はっきりとは言えません)
 
そして、、、
 
とっても似ている「発達障害」と「愛着障害」の特徴。
(詳しく知りたい方はこちらをご覧ください)
 
そして、精神科医である岡田尊司先生は、
発達障害と診断されてしまう愛着障害が多いことから、
こんな本も書いてらっしゃいます。
 
私は以前、診察を受けた精神科医の先生に、
 
「アスペルガー症候群だと思います」
 
と言われはしましたが、その時は検査されなかったため、
検査が出来る心理士から田中ビネー検査を受け、
その検査結果から、
 
「ギリギリで発達障害の域に入ります」
 
と言われたため、
発達障害者としての対応方法(ソーシャルスキルなど)
を学んできました。
 
けれど。
 
私はずっと、子供の頃から、
 
「誰か1人でいいから私の理解者がいてくれれば、
私は強く生きられるのに」
 
と、
たった1人の理解者を得ることを、
唯一切実な願いとして、
心の中でずっと渇望していました。
 
小学校中学年で、
叶うことのなかったその願いは、
手放してしまったけれど。
 
私がそんな願いを持っていたのは、
家庭からも小学校という社会からも、
存在を認められなかった自分を、
存在してもいいと言ってくれる場所が、
欲しかったからでした。
 
それはまさに、愛着対象である相手に、
心の安全基地を求める気持ちと同じではないかと、
心理学を学んでいる時に感じたのです。
 
今まで、自分という人間を形作っているものの比重は、
 
発達障害>愛着障害
 
だと思っていたけれど本当は、
 
愛着障害>発達障害
 
なのではないか、
しかもその発達障害は、
親からのマルトリートメントが、
大きく影響しているのではないか、
と考えるようになってきたのです。
 
でも、こんなことは自分1人で考えても、
分かるものではありません。
 
だから私は、
大人の発達障害と、愛着障害に詳しい精神科医の診察を受け、
大人の発達障害検査として定番である、
ウェクスラー式知能検査WAIS(ウェイス)を、
受けてみようか、と考え出したのでした、、、