それから8ヶ月後くらいに離婚して、
私は縁もゆかりもなく知り合いもいない、
元結婚相手の地元で1人で0歳児の赤ちゃんを育てました。
元結婚相手は、私が離婚後も自分の地元に居続けたのは、
自分への嫌がらせだと思っていたようですが、
私にそんなつもりは毛頭なく、
単に私に実家に戻って両親と暮らすという選択肢が、
なかったからというだけの事でした。
機能不全家族の中で育った私にとって、
実家や親戚達が暮らす自分の地元は、
決して逃げ帰れる場所ではなかったのです。
そんな私の子育ては本当に手探りで、
私は下ろすと赤ちゃんが泣くからと、
抱っこをやめることが出来ず、
トイレに行くのを我慢しすぎて、
2回も膀胱炎になりました。
子供のあやし方さえ分からずに、
子供の背中を、とんとんと叩くことも、
スピードや力加減はこれで良いのだろうか?などと、
悩みながらぎこちなく行っていました。
機能不全家族の中で育って、
家庭の暖かさがよく分からなかった私には、
どのようにしたら子供を幸せに育てることが出来るのか、
よく分からなかったのです。
もちろんシングルマザーとなった私は、
子供の面倒を見るだけではなく、
生活のために働くこともしなければなりませんでした。
朝の3時から新聞店で1時間働いて、
8時過ぎに子供を保育園に預けに行って、
9時から3時まで食堂でパートをして、
その後、子供を迎えに行くという生活を、
約1年続けました。
とても、貧しい生活でした。
そんな生活の中でも、
子供はいつもなんの屈託もない笑顔を、
私に向けてくれました。
自分のことを、こんなに受け入れてくれて、
愛してくれる存在は初めてだ、と思いました。
そして、この子には私しか頼る人がいないのだ、と思うと、
自分でも知らない家庭の暖かさを、
この子に味あわせてあげなければいけない、
と思いました。
絶対に人生を立て直す。
そんな目標を立てた私は、
こんなその日暮らしのような生活ではダメだと思い、
きちんとした正社員の職に就こうと、
新聞店の仕事が終わって食堂のパートに行くまでの間と、
子供を寝かしつけてからの何時間かを、
資格試験の勉強に当てました。
幸い、その努力はきちんと実り、
私は資格試験に合格したおかげで、
周囲の誰もから高望みと言われた、
大手企業に就職することが出来ました。
それからも、職場で虐めにあったり、
不倫騒動に巻き込まれたり、
親との関係改善のために、
心理セラピーに高級外車が買える程のお金を注ぎ込んだり、
中学校から高校の間の子供の生活態度が荒れて、
あんなに頼りたくなかった両親に泣きながら電話をしたりと、
色んな出来事があったのですが。
娘は一昨年結婚し、
昨年の12月には孫を抱っこするという経験が出来ました。
そして先日は、
孫のお宮参りに行くことも出来ました。
自分の娘が経験出来ていると感じることが、
私にとってとても感慨深いものでした。
あの時、助かって良かった。
あの自殺未遂をした時に、
そのまま死んでしまっていたとしたら、
私にとって生きることは、
とても苦しくて辛いことのままで終わっていたでしょう。
けれど、精一杯、子供を育てるという経験をした私は、
図らずも家族の暖かさを、
子供から教えてもらうことが出来ました。
生きてきて良かったと、思います。
私は今、40代半ばという年齢ですが、
人生という長い視点でみたならば、
まだ半分程しか生きていません。
これから、生きていて良かったと思う経験を、
いっぱい重ねていこうと思います。