迷いが晴れた日 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ここ最近、ずっと悩んでいたことがありました。
ちょうど同じくらいの時期にはじめた、心理セラピー講座とアスペルガーセッション。
この2つは似ているようでいて、生きづらさの原因として扱うものが根本的に違うので、
その2つを同時並行でやっていくのは良くないんじゃないか、と感じていました。

私には、結構可哀想だと言われる生育歴があります。
物心ついた時から実の父親に、
「お前のせいで母さんは死にかけた、母さんが体が悪いのはお前のせいだ」
と言われて育ってきました。
私はその言葉をそっくりそのまま信じて、20歳で自殺未遂をするまで、
父親にそうやって責められ続けて自分が苦しかったことを、母親に言うことが出来ませんでした。

そんな子供の心を傷つけるのが平気な父親からされた出来事は本当に様々で、
「生育歴に問題がある。あなたは愛情を知らない」
と言われたら、そのまま納得してしまうような幼少期を過ごしていました。

でも、だからといって。
私が変わっている、と言われていたのも物心つく前の話でした。
親戚のおば様達から
「とても可愛らしいお顔(赤ちゃんの頃の話です)」
と言われていた私は、自分でやろうとして上手くできないのを、
手伝おうとしておば様方が手を出そうとすると、
「やん、もうっ!!(*`へ´*)」
と言って怒って嫌がっていたため、赤ちゃんの頃から、
「気難しい子」
と思われていたそうでした。
自分がこだわるものには何者をも触れさせない、そんな子どもだったそうです。

自分の生きづらさの原因が、本来の器質としても、生育歴としても、どちらにも当てはまる私。

片方のセッションをやると、片方のセッションがその効果を阻む感じがして、
でも自分がどちらのセッションを優先した方が生きづらさを解消できるのか分からなくて、
どっちつかずでずっと悩んでいました。

でも、今日フッと、

「これだけ生きづらい人生でも、今の人並みに生活できる自分があるのは、とても自分が守られていたからだ」

と思いました。

そして、ずっと自分がどっちのセッションを優先した方がいいか悩んでいた時には自分の内に籠りすぎて気づかなかった、
とても美しい空の雲に気づきました。
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波なみとずっと続く雲を見ていたら、とても気持ちが大きくなったような気がして、

「私は美しいものを美しいと感じられる心のままで生きていきたい」

と思いました。

そうして、子どもの頃の自分は、その通りのままの心を持っていた、と思いました。

決して、可哀想な子どもであっただけではなく。
自分が傷ついても悲しくても嬉しくても楽しくても、
いつも世界の美しさをみることが出来ていた私。

その自分を取り戻す方法を探しているのだ、と思いました。

だからまず、私のやるべきことは。

どの方法だったとしても、自分が思っていること、感じていることを臆せずに伝えること。
 
方法に自分を合わせるのではなく、自分がどんな人間が伝えた上で、
相手が受け入れてくれるか、くれないかに怯えないこと。

小さな自分の考えの中に閉じこもっていた時には途切れてしまっていた、
不思議な皆さんとの繋がりが、考えの外にでた今では感じることができるから。

ずっと傍にいてくれた、不思議な皆さんの感覚。
これだけは私がどんなに道に迷ったとしても、求めれば必ず感じられたもの。

大丈夫、大丈夫。

私はただ、私という人間らしく生きていこう。