2011の夜明け | IVY 震災支援ブログ

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大晦日。

日中、どたばたと色んな人に会い、夜、ぽつんと時間が空いたので、

石巻事務所の面々と紅白歌合戦の長渕剛の中継を見に行くことに。

皮肉にもステージは、僕らもよく知る門脇小学校。

少し大人げないと思いながらも、観覧者席とくくられたロープから少し離れ、

僕らは一緒にいたメンバーの家が「あった」場所に残ったコンクリートの基礎に座った。

 

彼が生まれ育ち、家族全員を失ったその跡地から、長渕が現れるのを待った。

「あそこにぽつんと残っている鉄筋の建物はケーキ屋さんだったはず」とか、

「ここに居間があって、ここが台所で、あの日ここに父が居て、母が居て、妹が居て」

なんてやりとりを、まるで当たり前の日常会話のように応酬していた。

 

実は、彼の失くなった妹さんの誕生日が近かったため、

別の現場が早く終わり、時間が余ったメンバーが、彼の家の跡地を清掃してくれていた。

「こんなにきれいに片付けてくれたんですよ」

玄関だった場所から、ゴミやガレキが排除され、ほうきで掃かれ、

綺麗な白いコンクリートの階段が3段、顔を出していた。

1月から就職先が決まっている、若いメンバーの仕事だった。

「彼は辞める前に、本当に良い仕事をしていったなぁ。」

僕とエリアマネージャーは、白い息に言葉を乗せて、心から感心した。

 

そんな夜。

悴んだ手に息をかけ、NHKにラジオを合わせて長渕を待つ。

左手には逞しく煙上げる製紙工場、その頭上に月、

背後に海の香りと、失くなった町、潰れた車、付かない信号。

目の前の廃校に白いスモークが集れ、長渕が現れる。

知らない歌だけど、震災後に書いたらしい、優しい歌が夜に溶ける。

さらっと1曲終わった後、長渕は大きな声で激励を飛ばして去った。

 

僕らは年甲斐もなく駆け寄って、「ありがとう」と叫んだ。

そのありがとうは、長渕剛だけでなく、2011年、お世話になった方々、

皆さんに対するありがとうだったような気が、今なんとなくします。

 

ぎりぎりの心の中で、キャッシュフォーワークのチームは動いているから、

励ましてくれる人、遊びにきてくれる人、応援してくれる人、

皆さんに本当に、心から感謝をしています。

 

帰り道、地盤沈下した悪路を、「乾杯」とか「とんぼ」とか、

僕らの知ってる限りの長渕の、サビの部分だけ、歌いながら車に戻った。

 

2011年の最後の夜

なんだか楽しい夜を過ごさせてもらえたなぁ。

ありがとう。



プロジェクトマネージャー 服部