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デニムの国から

このブログを読んでくれた すべての皆様に幸福が訪れますように・・・
たくさんの波乱万丈な半生をコミカルに 小説仕立てでお届けします・・・
同じような経験をした方に勇気と元気を与えられたら幸いです・・・
Wishing your happiness and prosperity!

阪急電鉄の淡路駅周辺といえば 地元の人なら

なんでそんなところに・・・・って思う程 下町の 比較的

柄の悪い土地がらであった


無論 そんなことなど全く知らなかった 私たち親子は

専務から紹介された お局様の自宅近くで 一人暮らしを

スタートさせることにした。


物件近くの不動産のおじさんに 父親がしっかりとした

立派な人だと 褒められたのを 今でも覚えている

恐らく いい加減な父親だったら かなり ぼったくりに

合っていたかもしれない・・・


この人だったら 騙しがきかないと判断してもらったのは

よかったが、近くに住んでいた お局さんが 

その後の生活で 役に立ったことは 一度もなかった


逆に うとましい存在であり、まだ30代前半だった彼女は

かなり オバサン的で 年上の女性に感じた


恐らく 専務に気に入られるために 嫌々引き受けた

仕事であったと 思うが・・・

それでも 都会に知り合いがいない私たちには

彼女を頼るしかなかったのである。


しかし、彼女のご両親は 実にいい人だった・・・・

小さな はんこ屋を切り盛りしていて

温和な感じの ご夫婦だった


大屋さんは 歯医者さんだったが、特に何かをしてくれる

わけでもなく、その後 半年間 その古いアパートで

生活をしたが、あまりいい印象はない。


淡路という場所は 食べ物にこそ困らないところだったが

二度と住みたいと思わないほど 記憶に残る場所だった


                         つづく

大都会 大阪へ 夢と希望を抱いて・・・

新たな生活が始まった・・・


入社する前に一人暮らしをする部屋を探しに

父親と一緒に いざ大阪へと向かった


当時の専務が指名した 会社のお局様に

導かれ・・・ いくつかの物件を見て回った


綺麗なところもあったが、会社から少し離れていた為

慣れない通勤だと 困るだろうと 吹田市江坂にあった

会社まで できるだけ 近い沿線で見つけた


両手を広げたら 両方の壁にくっつくほどの

狭い部屋もあった・・・

金額も恐ろしく高かった・・・

敷金礼金を合わせて 50万もなる物件が一般的だった


結局のところ、見るからにキツ~イ印象のお局様が

住んでいる 阪急電車沿線の淡路駅下車 徒歩5分ほどの

ところにあった かなり古い アパートにした


身寄りのいないことも考えて 誰か知り合いがいる方が

いいだろう・・・ということと、家賃が3万円と格安で

新入社員の手取りから考えても 妥当だと判断した


しかし、条件はかなりレトロだった・・・

大屋さんは隣接する病院の委員長で、当初はそこで

働く看護婦さんの寮として 作られていた為

入口を入ると 暗い廊下があり、歩くと ギシギシ音が

するほど 古かった

おまけに お風呂は共同のシャワーで、100円を入れたら

10分間使えるようなものだった


洗濯機も共同で、空いていれば自由に使えた・・・

一応 各部屋ごとに 炊事場とトイレはあった。

炊事場の隣が すぐトイレで オシャレからは程遠い

部屋だった・・・


6畳ほどのスペースがあるだけで、ドアを開けると

廊下があり、一階と二階で 10部屋くらいはあった


一階の一番奥の部屋だったため 日当たりも悪く

電気も暗い蛍光灯が一つしか 付いていなかったため

大都会の華やかさからは 想像できないほど

地味で 哀愁たっぷりのスタートだった・・・・


唯一の楽しみは 近くにあった銭湯に

たまに行ったり、すぐ近くの淡路商店街で 買い物が

できることは 田舎育ちの私にとって 小さな喜びだった


                         つづく

大学の卒業式には 大抵お決まりの袴を着るようで・・・

どこの美容室だったかも 覚えていないが、

同じ学科の カナちゃんと一緒に 朝からおめかしを

しに気合いを入れて 着付けをしてもらった・・・


上は赤系 下は紫系の かなりスタンダードなものだった

ハイカラさんが通る・・・・でみた 格子柄の袴もあったが

どうも 私の顔立ちからして シンプルな 古風なものしか

しっくりこなかった


今時の学生はきっと さぞかし オシャレな袴で

卒業式を迎えるんだろうが、今から20年近くも前となれば

それほど シャレたものは なかった・・・


それでも 普段 着ない袴姿は どこか違う自分になれる

そんな気がした・・・


同じ時期ではなかったが、沖縄出身の子たちは

そろって 紅型衣装に カンプーを結ってもらって

郷土らしさをアピールしたらしい・・・  その時の反響が

大きかったようで 人伝えに聞いたほどである


卒業式の思い出として これまで 犬猿・・・のように

あまり 交流できなかった 男子寮(向山寮)の人たちとも

仲良くなれたことである。。


なぜか 写真には肩を組んで  いや組まれて映っている

同志!ともいうような 写真が 懐かしい・・・


後輩や友人から 花束をもらうのが 卒業式の習わしで

あったが、その花束が やたら多かったことに

実家から卒業式に駆け付けた 母親がかなりビックリしていた


どれだけ 寮の仲間や後輩から慕われていたのかを

目の当たりにして 嬉しかったことだろう・・・


その後輩が卒業する時には トモヨと一緒に

パチンコ屋の開店に出すような でかい花輪を 学校の

前に立てかけてやった・・・


祝卒業!って・・・


実際に見てはいないが 目立ったに違いない・・・

それほどの絆を 作ってくれた 善通寺に 別れを

告げる時が 刻々とせまっていた


                        つづく